広島大学50周年記念事業
サタケメモリアルホールはこうして実現した。 
文・原田 康夫

(HARADA, Yasuo)
広島市病院事業管理者
広島大学前学長


 私の学長二期目に広島大学五十周年記念行事が行われることになりました。戦後、新制大学になって以来、日本の多くの大学が五十周年を迎え、それぞれの大学で色々の催しや式典が行われました。そのために、どの大学でも色々工夫し、同窓会が資金集めを図り、学長が企業廻りなどをしました。しかし、運悪く日本の経済はバブルがはじけ、世に不景気の風が吹き始めた平成11年のことで、思うようにはお金が集まらなくなりました。
 学長二期目の平成9年から、私は五十周年事業のために心を配り始めました。同窓会もそれぞれ五十周年事業をしなければなりません。広島大学には、広島師範学校、広島高等師範学校、広島工業専門学校、広島女子高等師範学校、広島文理科大学など多くの前身校があって、昭和24年にこれらの学校が統合して広島大学として新制大学の仲間入りをしたのです。私が一期生として入学した医学部も昭和28年に広島県立医科大学が広島大学に統合されたのでした。
 統合前のままの多くの同窓会が一本化されなければ、五十周年事業の成功もおぼつかないと考えた私は、それまであった12の同窓会を統合することから始めました。
 まず、平成8年11月29日に、12の同窓会を束ねた広島大学同窓会連合会を発足させましたが、この名称から単に「連合」の名を外すにも予想外の年月がかかり、ようやく五十周年が過ぎた昨年(平成14年)の1月11日に広島大学同窓会が発足しました。同窓会連合会が出来た時点から、五十周年事業として何をするかを理事会で検討しましたが、私の発案で記念建物を作ることに決まりました。私が千席のオペラハウスを作り東広島市の文化拠点にすると言った所、多くの人の反応は、「オペラハウスねえ…」と言ったものでした。ともかく、国際会議の開催も可能な千席のコンサートホールを東広島キャンパス内に建設するための募金活動を始めることにしました。
 卒業生が合わせて十数万人近くいるというので、十億円以上を集めるには一口二万円で募金するのがよいであろうと同窓会理事会で決められましたが、私はこれだけで目標を達成するのは難しいのではないかと危惧しました。
 一方、財界からも拠金を募ることになり私が企業廻りを始めました。不景気の波がおしよせ始めていたにもかかわらず、中電、広銀などの地元の主要企業からの数千万円を始め多額の寄付を頂き、総額は一億三千万円に達しました。さらに、以前から私が色々お世話になっている福山通運の小丸法之会長にお願いして、二億円にも達する多額の浄財をいただく約束を取り付け活気づきました。
 これに対して、同窓会からの募金は一向にはかどらず、学内で教職員に呼びかけた募金を加えても九千万円に達しませんでしたが、再度の募金を呼びかけた結果、最終的に一億五千万円が集まりました。
 私は、東広島キャンパス中央の図書館西側スロープに、五十周年記念ホールを建設する計画を文部省に示し、これとドッキングする学士会館を作るために七億九千万円をもらって来ました。この工事はどんどん進み、私の在任中の平成13年5月8日には学士会館竣工記念式典を行いました。

1000席のホール内部


佐竹覺、利子両氏のレリーフ


緞帳「月光流砂らくだ行」(平山郁夫作)

 しかし、肝心の五十周年記念ホールの募金は財界や福山通運、同窓会などからのものを併せてもようやく四億円余りしか集まっていません。これでは貧弱な体育館すら出来そうにありませんでした。周辺からの「オペラハウスはいつ出来るの?」という声に、私は半ば絶望的な気持ちになりました。
 そのような平成12年11月、大変残念なことに株式会社サタケの佐竹覺代表が急逝され、広島大学は最大の支援者ともいえる人を失うという大きな不幸に見舞われました。覺代表には、サタケ女子オープンのプロアマゴルフの際に御一緒した折り、「広島大学支援財団を作りたいので十億円下さい」と不躾も省みずお願いし、「(財)広島大学後援会」を作っていただきました。最大の理解者の死は私にとって大きなショックであり、大学にとって取り返しのつかない損失でした。しかし、その悲しみを乗り越えて葬儀委員長を務めさせて頂き、東広島体育館でのお別れの会では二千五百人という多くの人々と共に、覺代表をお送りすることができました。
 株式会社サタケは、世界の精米機の九十七%のシェアを占める東広島市が誇る世界企業です。突然、代表として会社を取り仕切られることになった利子夫人の御苦労と御心労はいかばかりかお慰めする術もありませんでした。
 平成13年1月4日、私は年始の挨拶に利子代表をサタケ本社に訪ねました。オペラハウス建設の募金が集まらずに悩んでいましたので、利子代表に恐る恐る「相続税を払う代わりに広島大学のオペラハウス建設にご援助下さい。サタケメモリアルホールという名をつけましょう」と申し出たのです。先に支援財団に十億円ご援助頂き、今回はさらに多額のお金を下さいと言うのですから、たとえ大学のためとはいえ冷や汗のでる思いでした。以前から利子代表は、財団もよいが記念会館のような形のあるものを広島大学に寄贈したいとの思いを抱いておられたようで、すぐに「どの位準備すればいいですか」ということになり、思い切って「七億円下さい」と言ったところ「大変ですが、考えてみます」と仰って下さいました。しばらくして利子代表のOKが出たので、ホールはいよいよ建設を始める段階に入りました。
 ホールは中央図書館西側のスロープを利用し、ステージは学士会館側に、入口は図書館前の中央広場「サタケスクエア」(財団設立時に佐竹両代表を顕彰して命名)側に設け、外観は私の発案でグランドピアノをモチーフに大成建設に具体の設計をしてもらいました。建設工事は経験の深い企業三社(大成、清水、鹿島)の共同体があたることになりました。
 しかし、まだ建設資金が足りません。小泉内閣が明日から発足するという日に、大蔵大臣宮沢喜一先生にホール建設の必要性をお話する機会を得ました。その後、暫くして岸田文部科学副大臣より二億円の予算がついたことの知らせを受けた時は大変うれしく思いました。実は、当日の朝、私が電話でアポイントメントをとり急遽上京し、雨の中午後四時には大臣に会うという「思い立ったら即実行」という行動が功を奏し、大臣にホール建設にかける私の情熱が伝わったものと思っています。このように、ホール建設への全ての準備を整え、なんとか建設会社と契約というところに至って、私は広島大学長を退任しました。
 その後、広島大学当局が契約の話を進めましたが、見積もり額が公共事業価格に跳ね上がってしまいました。十五億七千万円。これでは私が苦労して集めた募金額では追いつきません。これを聞いた私は直ちに牟田学長に会って、「この建物は、募金をした私と広島大学創立五十周年記念事業後援会が作って大学に寄付する」旨を伝え、建設会社には十一億円でないと契約しないと宣言しました。
 会社側も私の剣幕に驚き、しばらくたってそれに従う事になったのだから面白いものです。その代わり、椅子千席も株式会社コトブキの深澤社長にお願いして安くしてもらい、内装も木目仕立にするために住建産業(現、ウッドワン)の中本会長にお願いしてナラ、ブナ、サクラ材を安くしてもらいました。音響は早稲田大学の音響研究所所長の山崎教授に、照明は丸茂電気にお願いしました。いずれも建設会社へ行く前に、社長決裁を得て見積もってしまいました。
 また、緞帳は平山郁夫氏の「月光流砂らくだ行」を編み込んだもので、七千万円で川島織物が製作したものを、また舞台用の諸幕も合わせて福山通運の小丸会長から渋谷育英会を通して贈って頂きました。学士会館側への階段を飾るシャンデリアは、私の友人である桑木詩信さんからいただいたスペイン製の豪華なものです。
 それでも建設には金がかかるものであり、うまい募金方法は他にないものかと考え、私はホールの椅子に寄付者氏名をつけることにしました。その対象は一脚二十万円以上としましたが、これに百五十人の方々に応募していただきました。牟田新学長になりこれを十万円にしたところ、さらに百五十人ほど応募があり、結果約三百席に寄付者氏名をつけることになり、大いに募金効果がありました。
 ホール建設にあたって、自然のスロープを利用して席を設けたことで一億円以上の節減効果があり、建築費を下げることができました。大不況の中で、直接交渉により建築費を安くできたのですが、これも官ではなく民である私と記念事業後援会からオーダーする方法をとったから実現したのです。これだけの節約予算にもかかわらず、ホール内部の形状を六角形にして内装を木目仕立にできたことで、おそらく日本一音響のいいホールが出来上がったものと思います。
 5月31日の柿落としの日は、新制大学として広島大学が誕生した日であり、私の72歳の誕生日でもありました。当日は桂文珍さんの講演とオペラ椿姫のハイライトを行い、翌6月1日には椿姫の全幕を公演し、私もイタリア語で三時間歌いきりました。
 歌は私の健康法でもあり、これが広島大学のためのお金集めにも役立ったようです。このように「サタケメモリアルホール」建設には、人とのつき合いを大切にしてきた私の行動が生かされたものと思い、皆様のご協力とご理解を下さった方々への感謝の気持ちは尽きません。

サタケメモリアルホール使用に関する要領等

1.使用申込関係
 (1)利用対象
  1. 広島大学(以下「本学」と
   いう)の教職員が教育、学術
   若しくは文化に関する会合
   又は行事を行う場合
  2. 本学の学生団体が文化講演
   会等の課外活動等を行う場合
  3. 地域の団体等が主催する講演  
   会及び研究会等を行う場合
  4. 本学の同窓会等が主催する
   講演会及び研究会等を行う
   場合
  5. 他大学又は学術団体等が主催
   する会合又は行事を行う場合
  6. その他館長が適当と認めた会
   合又は行事を行う場合

 (2)休館日及び開館時間等
  1. 休館日は、12月28日から
   翌年1月4日までとする。
  2. 開館時間は、午前8時30分  
   から午後10時までとする。

2.諸設備関係
 (1)舞台設備
  ・緞帳    ・諸幕
  ・スクリーン ・音響反射板
 (2)照明設備
  ・ボーダーライト
  ・サスペンションライト
  ・シーリングライト等
 (3)音響設備
  ・録音再生機器
  ・電動3点吊りマイク等
 (4)映像設備
  ・プロジェクター等
 (5)演奏設備
  ・スタインウェイフル
   コンサートピアノ等
 (6)その他
  ・演台  ・司会台

3.利用料金関係
 (1)使用料金
  1時間につき7,000円
  (学内者は不要)
 (2)空調料金
  1時間につき4,000円
 (3)清掃料金
  1回につき2万円
 (4)その他
 2.の諸設備の利用に関する
 経費等が別途必要となります。

*詳細は広島大学サタケメモリアル
ホールフロント(学士会館事務室)
まで
(0824−24−6992)


広大フォーラム2003年6月号 目次に戻る