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  粘膜免疫学
〜Mucosal Immunity〜 
文・高橋 一郎

( TAKAHASHI, Ichiro )
大学院医歯薬学総合研究科
病態情報医科学講座教授



図1 第一線の生体防御バリアとしての粘膜免疫機構
 ヒトの体は極論すればチューブ状構造物の集合体であり、その内腔をおおう粘膜の総面積は400 m2に達します。この広大な粘膜には、人体の有する免疫担当細胞のおよそ5割が集結しています。粘膜を介して投与したワクチンは、粘膜に点在するリンパ節(Peyer板など)を介して送達されます。Peyer板から取り込まれたワクチンによって活性化されたB細胞やT細胞は、リンパ節近傍のあるいは遠隔の粘膜や腺組織に移動(ホーミング)します。粘膜や腺組織に移動したB細胞はT細胞の働きかけにより、最終的に分泌型IgAを産生する形質細胞へと分化し、微生物の感染防御に寄与します。



図2 膜融合型リポゾーム経鼻粘膜ワクチンの開発
 私たちはセンダイウイルスの膜融合能に着目し、これをリポゾームに付与した膜融合リポゾームワクチンを考案しました。この膜融合リポゾームに卵白アルブミンを封入し、鼻腔粘膜を介して免疫すると、エイズウイルスの感染が考えられる消化管や生殖器などの粘膜にIgA抗体とキラーT細胞の誘導が認められました。
 インフルエンザ、エイズなどの感染症から生体を守る免疫システムの研究に新たなフロンティアが登場しました。脾臓・リンパ節などの体内のみならず、呼吸器・消化器・生殖器などを被覆する粘膜でも、免疫細胞が病原体と激しい攻防のドラマを繰り広げていることが明らかになってきました。この粘膜に配備された免疫システムを構築する細胞とその作動分子群の解明が進み、注射に頼らずに効果を発揮する粘膜ワクチンの開発が、感染症の撲滅に画期的な恩恵をもたらすことが期待されています。

感染症との果てしない戦い

 わが国では二十世紀後半の高度経済成長期を通して、医療・保健・福祉をとりまく社会・経済・行政的環境が格段に整備・改善されました。したがって結核やジフテリアなど、過去に猖獗をきわめた感染症はもはや克服された疾病と考えられています。しかし眼を世界に転ずると、新型インフルエンザ、サーズ(SARS)、エボラ出血熱、病原性大腸菌O―157など、感染症が原因となる新たな疾病の脅威は枚挙に暇がありません。また米国における同時多発テロ事件以降、地球上から消滅したと考えられた天然痘が、バイオ・テロの手段として悪用されるという新たな脅威が生じています。

ワクチンの登場

 人類の英知により病の本質に対する理解が深まるにつれ疾病にかからない手段としての予防医学の重要性が近年頓に増しています。肉体的、精神的、経済的な負担など、多くの点で予防は治療に優る疾病対策であり、とりわけ感染症対策としてのワクチン開発は優れた予防法といえます。ワクチンとは病原微生物に対する特異免疫を付与する目的で投与される製剤のことであり、一七九六年に英国のジェンナーが天然痘を予防する目的で、牛痘の病原体をヒップス少年に接種したことがワクチンのはじまりとされています。世界保健機関は一九七九年の天然痘の根絶にひきつづき、ワクチンによる急性灰白髄炎(ポリオ)、麻疹(はしか)の根絶をめざしています。

粘膜での免疫

 わが国において実用化されたワクチンの多くは、ポリオや破傷風などの終生免疫の得られやすい急性の伝染病に限られています。一方、現在実用化が望まれているワクチンは、エイズや結核をはじめとする、反復再感染が常態であり、既存の方法論では満足のいく効果の得られない難治性の感染症を対象としたものです。現在人類の脅威となっているエイズやサーズなどの不治の病の多くは、呼吸器、消化器、生殖器などの粘膜を介して感染します。この粘膜組織には、生体防御の最前線として、病原微生物をはじめとする数多くの異物(食物、アレルゲン、粘膜常在細菌、発がん物質)と対峙し、生体のホメオスタシスの維持に寄与する人体最大の免疫システムが配備されていることが明らかになってきました(図1)。

粘膜ワクチン

 この粘膜に備わった免疫システムを介して投与し、粘膜を中心に免疫力を付与する“おくすり”、すなわち粘膜ワクチンの開発が急ピッチで進んでいます。私たちはセンダイウイルスの膜タンパクを利用した新規のワクチンを鼻腔粘膜に投与すると、分泌型IgAを中心とした体液性免疫応答とキラーT細胞を中心とした細胞性免疫応答が消化管や生殖器の粘膜に誘導できることを明らかにしました(図2)。また流血中にもIgGを主とした中和抗体が誘導され、結果的に、感染の初発部位である粘膜のみならず全身末梢免疫系を含めた二段構えの免疫を誘導できることが明らかになりました。
 また粘膜ワクチンは、操作性・安全性・経済性の観点においても、従来の注射によるものより格段に優れており、有効性・安全性に秀でた守備範囲の広い理想的な感染症の予防・治療法といえます。このように粘膜免疫学は、従来の注射によるワクチンに代わる体にやさしいワクチンの創製につながる革新的な学問のパラダイムとして期待されています。

研究室のホームページ
http://home.hiroshima-u.ac.jp/yobosika/mucosal.html

PROFILE
1988年 大阪大学大学院歯学研究科
博士課程修了
1988年 国立予防衛生研究所技官
1991年 大阪大学歯学部助手
1993年 アラバマ大学粘膜ワクチン
センター博士研究員
1996年 大阪大学微生物病研究所講師
1999年 ラホヤアレルギー免疫
研究所在外研究員
2002年 広島大学大学院医歯薬学総合研究科教授
専門分野: 粘膜免疫学


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