留学生の眼(101)

 留学とは  文・ホンドマ,エンフサツラル
( KHUNDMAA, Enkhtsatsral )
日本語研修生
(モンゴル出身)




留学生センター主催の宮島見学(筆者左から2人目)
 日本に来たり国に帰ったりして、日本での生活期間を合わせると約二年になりますが、ここで分かったことは二つあります。一つは、違う社会、文化に触れることで考え方が大きく変わるということ、もう一つは自分に対する責任感、自立心、物事に対する判断力が高まるということです。
 一人で、全く違う環境の中で長い間家族、友達と離れて暮らすには、語学や社会の違い、コミュニケーションギャップ等の問題を抱えながら上手く対応していく能力が求められます。考えていることを他の言語で上手に言い表すということは語学レベルの問題だけではなく、その文化、社会を知っていないと無意識に相手に失礼になる事が多いです。それは外国人だから許されることではなく、知っていないと相手から距離をおかれたり、「やっぱり私たちとは違う」というふうにとらえられ、親しみが持たれにくくなります。
 私が初めて日本に来たのは高校二年の時、ちょうど夏の二ヶ月半のホームステイでした。母国を出ると世界が違うから、最初の一ヶ月はどきどき、わくわく戸惑うばかりです。まず空港に降りたとたん、鼻に湿気が匂い、空気が重い感じがし、母国で何も思わず吸っていた空気がこんなに恋しくなるとは思いもよりませんでした。会う人は皆ニコニコして、私も一日中ニコニコ、その次の日、ほっぺたが痛くなっていたのを今も良く覚えています。いい人ばかりに囲まれて、自分も段々その人たちに似てきました。微笑みながら「ありがとう」という言葉が自然に口から零れるようになりました。
 モンゴルでは「ありがとう」という言葉は日本ほど忠実に用いられません。例えば友達同士では「ありがとう」とあまり言いません。言うと距離のある阿った表現になってしまいます。友達同士がお互いに助け合うことは当然なことで、いつも助け合っているので助けられる度に「ありがとう」というのが面倒なのかもしれません。逆に日本では「ありがとう」と言わないと非常識な人間に思われてしまいます。このようなギャップがたくさんありますが、その社会のことをいろいろと勉強し、たくさんコミュニケーションする事で経験を積み、失礼のないように暮らしていきたいものです。
 今振り返ってみると、その二ヶ月半は、私の人生を左右する経験となりました。国を二ヶ月離れるだけで、人間の考え方が大きく変わるのだということを実感しました。国で暮らしていた時には全然考えもしなかったことを、他の国に来てから考えさせられるのです。生まれた故郷、家族、友達という言葉の本当の意味、大切さを良く理解できるようになった気がします。
 新しい出会い、違う文化にふれることで、自分の国のいいところ、悪いところが全部はっきりと見えてきます。一方、人間は親しい人たちから離れていると敏感になってしまうため、留学している社会の悪いところが見えやすくなったり、感じられやすくなったりすると思います。留学している間に、腑に落ちないところばかり見えて、もう嫌いかもしれないと思うようになってしまった時期がありました。でも夏休みに一度帰国して、また戻って来たら不思議なことにいいところも一杯見えてきました。来るたびに日本ではなく、私自身が変わっていました。友達から学んだり、先生から聞いたりして、長く生活する間に、納得できないところが少しずつ解消されていったような気がします。
 もう一つ、留学によって自立心や、自分に対する責任感、物事に対する判断力が高まったと思います。外国で一人暮らしをすると色んな面で自分しか頼れる人はいなくなります。風邪をひいて熱を出しても、ひいてしまったのは自分の責任だし、甘えてはいられません。親に電話したくても、心配させたくないので「自分でなんとかしなければ」と道に迷いながら病院へと向かいます。少しずつ強くなっていくことが自立に繋がり、自分に自信を持てるようになります。
 このように日本から学べたことはたくさんあります。日本に留学してこそ、今の自分があると思います。その国が嫌いになるか、好きになるかが問題ではなく、留学することで自分自身を見つけ、物事を色んな方向から見られるようになることが、大事だと思います。もちろん、勉強も大事だけれども、「これも一つの大きな勉強なんじゃないかな」と思います。これを読んでいる皆さんに「留学してみて!!!自分を刺激することで自分自身が成長していくのが感じられ、世界観が広がり、心が一層大きくなるから」って言いたいです。
( 原文・日本語)


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