文・林 俊雄
( HAYASHI, Toshio )
附属小学校副校長


 『内外教育』5501号(時事通信社)に、ベネッセ未来教育センターが行った「中学生にとっての家族」調査の結果が報告されていました。いくつかの調査項目を通して、現在の中学生の親子間に対立や断絶(いわゆる険悪な反抗期的状況)は見られない一方で、親子同士の依存関係が強いという全体的な傾向が明らかになったそうです。私が特に驚いたのは、「親とうまくいっているか」という質問に対して、「うまくいっている」が父親関係で77.7%、母親関係で87.4%という高数値を示していることです。同センターはこの調査結果を総括して、「反抗期を持たない子供がどう親から自立するのか」と問題を投げかけ、「子どもの成長にとってマイナス要因になる」と懸念しているということでした。
 中学生から高校生にかけて、私も人並みに(今と違って当時は確かにそうだったと思います)反抗期を経験しました。特におやじに対しては、顔を見るのも口をきくのも鬱陶しく感じ、何かにつけて強烈に反発してばかりでした。はっきりとした理由があってのことではないのに、ただただ自分の存在の前に立ちはだかる障壁のような感情を抱いてしまうのでした。おやじからしても、なにかと腹の立つことばかりで、とんでもなく生意気な息子だったはずです。反抗期を経験できたことが、自分のその後の成長と自立につながったのかどうか…、甚だ心許ないばかりです。せっかく反抗させてやったのに結局その程度かと、草葉の陰からまた一くさりありそうな気もします。

 おやじが全てだなんて言いませんよ/僕一人でやった事だって沢山ありましたよ/一つだけ言ってみたいのは/おやじが人を疑うことを教えてくれたこと/おやじは悲しいくらいに強い人でしたよ

 広島出身のシンガーソングライター吉田拓郎が、若き日に歌った『おやじの唄』の冒頭の一節です。ここでは歌詞の全編を紹介することはできませんが、おやじに徹底的に反発・反抗していた青年と、片や彼の反面教師として厳然と対峙していたおやじの存在がうかがい知れます。
 七年前におやじを亡くした後、忘れかけていたこの歌をふと聴くことがありました。年甲斐もなく、溢れ続ける涙を止めることができなくなってしまいました。親元を離れて学生生活を送り、故郷を離れて家庭を持ち、子どもができて私自身もおやじになる、そんな時間経過の中で、さすがに青年期のようにさしたる理由もなく強烈に反発・反抗する気持ちは徐々に収まっていきました。それでもおやじが生存中は、「相変わらずだなあ」と思うことが度々ありましたし、自分の成長過程を対おやじ関係の中で見つめてみるなんてこともありませんでした。
 『おやじの唄』の最後の一節が、今の私のおやじに対する気持ちのすべてを言い表してくれています。とことん反抗させてくれたこと、そして、おやじって結局はそんな存在でいいんだと教えてくれたことに、今は素直に感謝したいと思っているところです。

 おやじが全てだなんて言いませんよ/だけどおやじもやっぱり人間でしたよ/死んでやっと僕の胸を熱くさせましたよ/死んでやっと僕の胸を熱くさせてくれましたよ



広大フォーラム2004年12月号 目次に戻る