●手にとってもらえる広報誌 1998年、99年頃のお話です。 「大学の広報誌はおもしろくない」それを「大学の広報誌だからおもしろい」と言えるものを作ろう。当時、このようなイメージで「広大フォーラム」の編集が議論されていたと思います。昔も今も、「読まれる広報誌」を目指して進化してきたのではないでしょうか。 当時は年間八回発行し、教職員には、一人一冊配付されるのですが、学生さんには学部の窓口等で「ご自由にお取りください」方式で配付していました。進化を遂げているつもりでしたが、学部の窓口では、発刊されるたびに積み上げられたフォーラムの山が高くなる状態でした。私もフォーラムを担当するまでは、あまり「手」に取ることもなかったような気がします。読んでもらえることの大前提は、「手に取ってもらえる広報誌」だったのです。 ●余白の美 数年前から編集のコンセプトを「ニュース性」「速報性」「ビジュアル化」に置き、内容面に踏み込んだ革新が図られていました。モニター制度も充実させ、特にマスコミ関係者からの意見は、非常に厳しくありがたいものでした。 広報誌が専門書と違うところは、どんなに素晴らしい内容であっても、読みにくいものは途中で息切れし最後まで読んでもらえないことです。ぎゅうぎゅうに詰め込まれたレイアウトでは、そのページを開いたとたんに素通りされてしまいかねません。それでは余りにも執筆者に申し訳が立ちません。「余白の美」というアドバイスをいただき、すっこんと抜けたレイアウトに挑戦しました。「紙面がもったいない」との声も聞こえてきましたが「目にもすっきり読みやすさ倍増」と自画自賛したものでした。 雑誌等を参考にして、ビジュアル的に新しい形を目指したことを思い出します。ありがたかったのは、レイアウトをある号から突然変えても、広報委員の方から「勝手に変えた」とお叱りを受けなかったことです。一言おっしゃりたい先生もいらしたかもしれませんが。 ●コミュニケーションの果てに 当時の広報委員長と広報調査係長は、今にも噛みつきそうなくらいの勢いで編集の在り方について議論を重ねていたと聞いています。そのような熱いやりとりが進化の礎となっていたのでしょうか。 今、学生広報スタッフがフォーラム編集に取り組んでいる姿を見ると「生まれ変わる広報誌」の生き生きとした息づかいを感じます。どのような産声をあげるのか楽しみです。 |