・平野 敏彦

( HIRANO, Toshihiko )

広報委員会副委員長
大学院法務研究科教授


広報委員会の活動
 『広大フォーラム』は、全学の各部局から選出された委員で構成されている広報委員会(来年三月末日で廃止)が編集し、年六回、つまり二ヶ月ごとに一号を発行しています。毎月第一火曜日午前十時に、広報委員会、実質的には広大フォーラム編集委員会の定例の全体会議が開催されます。『フォーラム』は特集部門と連載(シリーズ)部門、それとコラム・ニュース等の単発部門から成っていますが、特集以外はその部門の担当委員が他の委員・事務の協力を得ながら記事を集めます。委員長と副委員長はもちろんすべての記事を、レイアウトを含めて最終的にチェックしますが、最大の仕事は各号の特集の最終責任者となることです。私は2002年度副委員長、2003年度委員長、2004年度副委員長として、『フォーラム』最後の三年間の特集に全てかかわってきました。

特集のテーマ選定
 広報委員会は二年任期の委員が半数ずつ交替していくという構成になっていましたので、四月の会議でその年度の委員が初めて集まった際に、六月号から翌年の四月号までの特集について年間方針を協議します。もっとも、二月号は卒業生・退職者特集、四月号は新入生特集とテーマが確定していますので、実際は六、八、十、十二月号ということになります。私のかかわっていた三年間はちょうど法人化移行期でしたので、ほとんどがそれにからんだテーマになりました。(幸いにも、これらはすべてhttp://home.hiroshima-u.ac.jp/forum/でご覧になれます。)

編集手順
 テーマが選定されると、ほぼ十ページ分の記事を割り振ることになります。テーマの内容に照らして執筆の適任者を見つけ、原稿執筆を依頼する、直接に出向いてインタビューを行い、こちらの責任でまとめる、座談会や対談を開催し、録音したものを文字起こしし、整理するなどの作業手順が選択できます。これは委員長・副委員長が原案を全体会議に提出して議論し、編集担当部会で議論し(実際は開催日の日程調整がむずかしいのでメール会議)、確定したところで、依頼文を出す、取材に行くというアクションを起こすことになります。委員長には執筆予定者等と直接面談したり、依頼や説明の電話をしたりする仕事もあります。適当な執筆者が見つからなければ、自分で執筆することもあります。
 原稿が集まって来た段階で、委員長・副委員長はすべてに目を通し、修正が必要だと判断すればその旨を伝達して修正のお願いをします。校正刷りについても同様の作業をします。これらと並行して、特集のリード文を書き(たいていは委員会での特集企画提案文を書き直すことになります)、編集後記をしたためます。そして最後に色校正を行い、レイアウトを含めて全体をもう一度読み直して、校了ということになります。

特集はだれのために?
 『広大フォーラム』は教職員と学生から成る広島大学の全構成員を読者と想定した学内広報誌であるというのが、委員会が与えた位置づけです。もちろん、構成員間に関心の大きなズレがあるのは当然ですが、とりわけこの二年間に法人化について扱った号に関して、これが露呈してきました。『フォーラム』は学生が読むものではなく、教職員のものなのだという意識が以前にもまして拡がったようです。生協食堂や図書館にも配布コーナーを作り、よりアクセスしやすいようにという措置もとりましたが、残部が山積みの状態でした。
 法人化を扱うときも、学生を無視していたわけではありません。学生にこの問題をいかに伝えればいいかという自問自答は常に行っており、学生が敬遠しないかということは編集者の強迫観念にもなっています。(2002年度半ばからボランティアの学生広報スタッフに編集の一部を分担してもらうようになり、事態の改善が図られています。)しかし、初めから学生向けにセレクトした情報だけを提供しようというのではなく、大学が「知の共同体」である以上、学生にも当然知っておいてもらいたいレベルの情報を掲載しようと絶えず努力しました。大学は教職員と学生から成るという当たり前の事実、だから情報は共有すべきだという認識を、特集の編集を通じて改めて実感しました。この意味で『フォーラム』は、いわゆる大学人の一体感・所属感を形成するメディアとしての役割を、十分果たすことのできる器だったのだと評価できるでしょう。
 なお、以上すべてのことは、旧広報調査係、現情報企画グループ広報担当の事務スタッフのサポートがなければ円滑迅速には動かないものであるので、深く感謝しています。


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