来年2月でその歴史に幕を閉じる広大フォーラム。このコーナーでは、学生の視点からこれまでのフォーラムを振り返ってみます。


「学内通信」創刊号の表紙


本部横木造建物の炎上
(昭和44年 東千田キャンパス)
フォーラムの前身「学内通信」の誕生
 現在の学内広報誌である「広大フォーラム」の歴史を辿ると、35年前に創刊された「学内通信」にいきつきます。学内通信が誕生したのは、昭和44年6月のことでした。
 学内通信が誕生するきっかけになったのが、「大学紛争」です。

※創刊号の「発刊に際して」の文章一部抜粋
「今日の流動する大学情勢のなかで、もっとも重要なことは、その動きを迅速、正確に把握して、判断し、行動することであろう…(中略)本学においても、従来、全学の教官・職員・学生相互間の、情報もしくは意志の疎通が、ともすれば円滑を欠くきらいがあり、そのことが紛争の激化の上に影響してこなかったとは言えない…(中略)ここに、定期報「学内通信」を発行して、報道と意志疎通の任に当たりたい。」

 現在の広大フォーラムは年六回発行ですが、学内通信が創刊された年は連日発行されることもあって、初年度は28回も発行されています。誌面の内容も現在の広大フォーラムとは違って、紛争の状況や大学改革の動きなどの学内情勢を詳しく伝える号外的な役割を果たしていたようです。

学内通信から広大フォーラムへ
 紛争が落ち着いてくると、だんだんと行事予定やエッセイなども掲載されるようになり、現在の広大フォーラムの原型とも言えるような誌面内容になっていきました。平成元年には、学内通信が発刊されてから二十年経ち、誌面の内容もかなり変わってきたため、「学内通信」から名称を変更することになりました。公募の結果「広大フォーラム」が新しい学内広報誌の名称として採用されました。

フォーラムの様々な誌面改革
 広大フォーラムになってから様々な誌面改革が行われてきました。サイズもB5からA4版に、色も白黒から全頁カラーになりました。また、英文目次も付くようになり、発行回数も年六回に落ち着くようになりました。2002年7月25日発行号からは私たち学生も、広報スタッフとしてフォーラムの企画・編集に携わるようになりました。少しずつ学生スタッフのメンバーも増えて、いろんな新コーナーもできてきました。

三十六年を振り返って…
 初期の頃は大学改革の案や連絡事項がたくさん載っていて、文字ばかりで読みにくく、内容的に堅い感じがしました。しかし、掲載されている記事の中には、大学側の改革案に対する学生側の反論もあるなど、現在の記事と比べて、ストレートに自分の意見を述べているものが多い印象を受けました。カラー頁が増えたり、写真がたくさん使われるようになったり、新コーナーができたりして年々読みやすさはアップしていると思います。現在の広報委員の皆さんや、私たち学生広報スタッフと同じように、歴代の広報委員の皆さんもどうしたらより多くの人に読んでもらえるかということに苦心してきたんですねぇ…。

そして、新たな変革の時…
 来年の四月号から学内広報誌は大幅に改編され、再びリニューアルします。さらにおもしろい誌面作りができるよう、私たち学生広報スタッフも頑張ります!
 請う、ご期待!!
〈担当〉 夫津木芳美(総合科学部三年)

特集ウォッチング
このコーナーでは、学生広報スタッフが独断と
偏見で選んだ、ユニークな特集を紹介します!
1985年には、二号連続で「これが広大生だ!」(1985年9月20日発行号)「広大を斬る」(1985年11月10日発行号)という広大にダイレクトに迫った特集が組まれています。「これが広大生だ!」では、当時の広大生のアルバイトや通学時間など学生生活の調査結果や就職状況が報告され、「広大を斬る」では国家試験や公務員試験合格率の他大学との比較や、学外からの広大に対する意見や要望などが掲載されています。


座談会の様子
この二つの特集では「広大生が広大を語る」と題した座談会も行われていて、「ジャージ姿が多かった広大生の服装もちょっとずつましになってきた」、「西条に移転した学部が少なくて寂しい」などオープンに学生生活について語っていておもしろいね!

「あなたの健康は大丈夫かー中高年の健康管理ー」(1992年2月20日発行号)という広大とは直接関係ないような特集も組まれています。タイトルだけ見ると何だか大学の広報誌じゃないみたいですね。内容は、成人病の研究をしている先生方にその予防法について寄稿してもらって、健康問題について考えるというものです。同じ号では、「学内、石物語」と題して学内の門柱や景石の石質を解説している地味な特集もあります。

どちらの特集も一風変わっていて、ユニークだなあ。



広大フォーラム2004年12月号 目次に戻る