文・川合 紀宗
( KAWAI, Norimune )
アメリカ合衆国コロラド州アダムス郡教育局No. 50
障害児教育スタッフ(CCC-SLP)
平成7年3月 学校教育学部聾学校教員養成課程卒業
平成9年3月 大学院学校教育研究科障害児教育専攻修了


担当している1年生の児童とともに聾学校教員養成課程(ろう研)のシンボルであるサルポーズをしているところ
はじめに
 旧学校教育学部に入学した頃は、一日も早く卒業して障害児教育の教員になることばかり考えていました。しかし、障害児教育は実に広く、深い分野であることに気づかされ、卒業後は学校教育研究科に進みました。修了後、かつてアメリカで音声言語病理学を学び、その知識や技術を日本に広め、我が国における言語障害児教育の礎となった当時の指導教官の勧め、また当時は音声言語病理学が日本で芽を出し始めた時期であったことから、本場でこの分野を学んだ方が有意義と考え、紆余曲折を経て、コロラド大学大学院音声言語聴覚病理学科に学びました。

Speech - Language Pathologist(以下SLP)とは
 SLPを日本語に直訳しますと言語病理士となりますが、言語療法士またはスピーチセラピスト(ST)と書いた方がより多くの皆さんに理解していただけるかもしれません。SLPの仕事は、ことばやコミュニケーション、食物の咀嚼や嚥下に困難のある人々のお手伝いをすることです。これらの困難や障害には実に様々な種類があります。例えば、ことばの発達が遅れている場合、正しい発音ができない場合、成人になってからの事故や病気が原因でことばを理解したり、話すことなどに困難を示すようになる場合などがあります。また、高齢化に伴う筋力の低下により、食物を噛んだり飲み込んだりすることに困難を示すケースも増加しています。これらの困難や障害のある人々に対し、SLPは検査や治療・指導などを通じ、能力の維持・向上を目指した支援を行います。

コロラド州アダムス郡について
 アメリカ合衆国コロラド州の州都、デンバー市は標高が一マイル(約千六百メートル)あり、別名マイルハイシティーとも呼ばれています。コロラド州は高橋尚子選手などのマラソン選手の合宿先としても知られています。私はデンバー市の一部と隣のウエストミンスター市を管轄するアダムス郡教育局No. 50に勤務しています。現在、三つの小学校にて幼稚園児から五年生まで八十二名の児童を担当しています(アメリカでは一般的に幼稚園児から五年生までが小学校に在籍)。私が勤務する地域には多くの移民が住み、約三十七か国語が話されています。中でも中南米系移民、ベトナム系移民、ロシア系移民が人口の多くを占めており、犯罪率は高く、貧しい地域です。教育者として壁にぶち当たることが多いものの、実にやりがいがあります。

なぜコロラド州アダムス郡?
 私がコロラド州アダムス郡で仕事をしている理由は二つあります。まず、コロラド州ではインリアル・アプローチや新生児聴力検査、LSVTプログラム(パーキンソン病やALSなど進行性の病気がある人に対する音声保存プログラム)開発などで著名なコロラド大学と連携しながら臨床ができるためです。次に、移民が多い地域ではSLPのなり手が少なく常に不足しています。そのような地域で働くことにより、アメリカの教育制度の長所と短所を見極めたいと思ったためです。

私の仕事内容
 現在私は障害児教育スタッフの一員として、ことばやコミュニケーションに困難を示す子ども達の担当をしています。障害児教育スタッフとは、障害児教育教員、社会福祉士、心理士、理学療法士、作業療法士など、さまざまな専門職のことを指し、これらのスタッフが学校ごとに一つのチームを構成しています。異なる立場から子どもを多角的に捉えることは特に障害のある子どもたちの状況把握には欠かせないため、このチームによるアプローチは教育計画や臨床場面において大きな効力を発揮します。アメリカの障害児教育は、障害のある子ども達に対して個々のニーズに応じた教育計画を毎年作成し、その計画に基づいて教育を施します。私は八十二人の子どもを担当しているので、一年間に八十二の個別教育計画を作成します。加えて臨床や検査も実施しなくてはなりませんので、毎日がめまぐるしく過ぎていきます。本来であれば少人数の子どもとじっくり向き合って臨床をすることが望ましいのですが、教育局には充分な数のSLPを雇用する予算がないので仕方ありません。しかしながらこの様な限られた状況の中でも子ども達は伸びてくれます。私のような出来損ないのSLPとかかわりながらも、少しずつ、しかし確実に伸びてゆく子ども達の姿を見ることが私の大きな喜びです。

おわりに
 人生は何があるかわからないものです。英語もろくにできず、外国に何らあこがれや興味を抱いていなかった私が単身渡米してはや六年も経つのですから。コミュニケーション障害のある子ども達により良い支援をしたい、そう決心して渡米した当初の決意は今も変わりません。アメリカで更なる研鑽を積み、近い将来日本の子ども達にこちらで得た知識や経験、技術をできるだけ多く還元し、障害児教育のボトムアップに貢献したいと考えています。


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