文・畠山 京子
( HATAKEYAMA, Kyoko )
広島市心身障害者福祉センター所長
平成15年3月大学院社会科学研究科
マネジメント専攻博士課程前期修了


広島市心身障害者福祉センターにおけるシッティングビーチボールバレー大会(平成16年1月30日。筆者2列目左から4人目)
 五十五歳、「学びたいときが学びどき」の想いで、平成十三年にマネジメント専攻に入学しました。仕事、子育てと家事に併せての二年間の夜間大学院生活で、ライフワークである被爆者援護に関する念願の論文作成とデータ解析等の新たなスキルの修得及び知の蓄積など、今後の仕事にあたっての指針となる大きな力を得ることができましたので、その一端を紹介いたします。

 私は、三十余年前に大学を卒業して以来、ほぼ一貫して、障害、生活保護、ひとり親、地域福祉、被爆者援護等の福祉の領域に携わってきました。現場の業務の中でその都度必要とする領域の門戸をたたき、これまでに社会福祉士・精神保健福祉士の国家試験受験のために通信制の二つの専門学校と通信制大学(法学部)を卒業しました。
 近年、介護保険のスタート等、福祉を取り巻く状況が大きく変化し、経済社会における福祉の位置付けも飛躍的に高くなっています。これからは「福祉の充実」が経済にとってもまた地域社会の活性化にとっても重要なのではないかとの想いで、「福祉」を経済社会との関連で考えたい!と地域政策の戸田ゼミを希望し、入学に至りました。
 平成十三年度のマネジメント専攻の入学者は、会社員が大半を占め、ついで公務員、教員という構成でした。年齢は、二十代、三十代でほぼ九割を占め、五十歳台は若干名で、私は同期入学生の中では最高年齢でした。また、開設初年度の平成十二年には入学者三十三名のうち女性はわずか三名だったのが、入学者三十五名中女性が十五名と大幅に増加していました。

 平成十三年度は、職場での異動と大学院入学が重なり、ハードな毎日ではありましたがそれにも増して大学院での日々は、新たな人、最新の学問領域との出会い、学びで、新鮮で充実した実り多い毎日でした。
 特に、大学院生活におけるゼミの存在は大きいものでした。所属した戸田ゼミは、自治体の元首長、県会議員、経営者、銀行員、会社員、シンクタンク職員、教員、行政職員など、職種、年齢、問題意識も多岐にわたるゼミ生で構成され、経済学専攻の大学院生も含めて運営されていました。ゼミは大学という場で、さながら「小さな広島」であり、地元広島の産業、交通、環境、福祉、雇用等々についての現在の課題と地域活性化について、組織を越えた視点で真摯な本音の論議が行われ、様々な職域の現況と課題についての多くの示唆を得ることができました。
 また、大学内のみならず、大学外で学ぶ貴重な機会も得ました。例えば、広島中心部(紙屋町)を視察したり、第一線で活躍されている経営責任者の方々の講演会やゼミ学生との交流会に参加したりすることで、広島活性化の現実の営みを学ぶことができました。更に、「躍進を遂げる長江デルタ(上海・紹興)の視察及び復旦大学生との交流」という中国への視察旅行に参加する機会も得ました。この視察旅行は、広島大学の元留学生であった復旦大学の陳雲先生が通訳兼現地案内をして下さり、現地政策担当者との懇談や現地の大学との交流も含んだ内容の濃いもので、国際化が進む中でアジアの中の日本を実感しました。
 また、必修科目の「組織倫理学」という授業で、組織における法令遵守(コンプライアンス)に関する事例研究をしたことも印象に残っています。法令遵守の重要性について、雪印の事件のようにそれが守られないとき、組織自体が壊滅を余儀なくされるということを痛感し、経営における法令遵守の重要性と違法行為の排除のみならず、経営理念の重要性についても学びました。更に、失敗がある一定の法則でおこる「ハインリッヒの法則」や失敗学についても学び、これらは現実の組織運営に照らしてみた時、非常に重要な事柄で示唆に富むものでした。現在、障害者福祉の業務に携わり法令遵守の再点検と「現場で当たり前のことを当たり前に行い」現場の力を高めることの重要性をいたく思い、取り組んでいるところです。

 個々上げれば多くの具体的な成果がありますが、未来への希望と指針を、微力でも自ら紡ぎだす力を授かったように思います。「終わりは始まり」であり、学びの蓄積を現場で深め、今後とも研鑚に励んで参りたく存じます。
 終わりに、東千田のマネジメント専攻が広島の更なる地域活性化の発信地となるべく、ますます発展されることを心より祈念申し上げます。


広大フォーラム2004年8月号 目次に戻る