留学生の眼(100)

日本での最初の日  文・焦 玲
( JIAO, Ling )
大学院医歯薬学総合研究科
展開医科学専攻博士課程2年
(中国出身)




原医研英語勉強会にて(筆者後列左端)
 五年前に、中国から広島へ来ました。広島空港を出て、広島バスセンター行きのバスに乗って、初めて日本を見物しました。その日、降水確率七十%だったのに、雨が降らず、空気は土の匂いでいっぱいでした。バスは速かったし、私の目も悪かったので、どこもみんな緑に思えました。畑のそばのそこあそこに住宅が見えました。たくさんの日本人が田舎でも暮らしているのですか?日本人は皆にぎやかな町で生活をして、いいマンションに住み、大きいデパートやショッピングセンターで買い物し、きれいでロマンチックなレストランで生活を楽しんでいるのではなかったのですか。
 バスは広島バスセンターに着き、私は主人と広島の中心街へ踏み出しました。車も人間もいっぱいでしたが、そんなに騒音はありません。中国から出たばかりで耳の中にまだ自動車のビービ、自転車のリンリンなどの音がいっぱい残っていた私には、とても静かな所に感じられました。信号が青になり、人々はみんな自分のペースで(!)横断歩道を渡りました。それから、ホームで路面電車を待ちました。客は多かったのに、押さないで順番に並んで、話をするのも人のじゃまにならないよう気を配っていました。静かでした。主人は少し以前から広島に来ていたので、電車の時刻表をみて、「あと二分です」と言いました。あまり信じない気持ちで、周りにあった看板や広告を観察することにしました。商業区なのにとてもきれいでした。路面電車が来ました。ちょうど二分たっていました。「本当に時刻どおり」。主人は、「バス、電車、飛行機、事故でなければ絶対に遅くなりません」としたり顔。まじで時刻表どおりに運行するの?日本人の真面目を初めて少し分かりました。
 色も本体も重たい路面電車が現代の町を走っているのは、おばあさんが昔々の着物を着て、道路の真ん中を従容に歩きながら観光をしているようだと思いました。でもこれも日本の”生活の多様化、自由化、便利化”の一端に思えました。電車に乗り込みました。空いてる席が無かったので、つり革につかまりながら、そっと客達の顔、髪、服などを”研究”しました。席に座って本を読んでいる女子中学生はきれいな制服を着ていました。その隣では元気そうなおばあさんが寝ていました。エプロンを着たまま二つのビニル袋を持ち立っているのは、たぶん奥様のようです。顔色の白い人がちょっと多いかな。日本の気候が良いのと上手な化粧のためでしょうか。顔、スタイルも色々で、全部山口百恵と高倉健ではありませんでした。それにたいていは普段着です。私の”日本人は全員スーツを着ている”という想像は正しくありませんでした。電車の中も静かでした。私は主人と話したかったのをずっと我慢しました。
 やっとアパートにつきました。七十歳の大家さんと会いました。私は日本語が全然分からなかったので、英語で簡単な挨拶をしました。大家さんも英語がしゃべれました。私よりもずっと上手なのにびっくりしました。本を読んで勉強をしているのだと教えてくれました。七十歳なのに、化粧をして、赤い服を着て、元気で快活です。その年で、そのエネルギーとその気持ちを持っているのには、本当に驚嘆させられました。やはり日本人です。七十歳のおばあさんでも、その高いレベルがあります。だから、日本は先進国になっています。いまから、日本の知識、技術、文化、そして静かさと日本人の真面目などをしっかり勉強しようと思いました。
 五年たった今も学び続けています。忘れられない最初の日でした。
( 原文・日本語)


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