中国地方の文化・芸術、学術・教育・産業の分野で優れた功績をあげた人たちをたたえる「中国文化賞」(中国新聞社主催)の第61回受賞者として、高等教育や大学の改革に尽力した有本章教授(高等教育研究開発センター)と、風景画の新領域を開拓した洋画家の難波平人教授(大学院教育学研究科)が選ばれました。(五十音順)。


高等教育比較社会学を拓く
文・有本 章

( ARIMOTO, Akira )
高等教育研究開発センター教授

 この度、第61回中国文化賞を受賞する光栄に浴しました。皆様のご支援のお陰と深く感謝しております。受賞理由は、これまでの高等教育研究の成果と21世紀COEプログラムの拠点リーダーの遂行を、主に評価していただいたものと推察しております。
 1964年に大学研究の卒論を提出したのを皮切りに40年間、大学や高等教育の理論、政策、改革、実践等にかかわる種々の研究に取組みました。大学入学当時には全国的に専門家は殆ど無きに等しい有様でしたが、幸い新堀通也先生に指導を受け、先生との共著で一九六九年に『社会学評論』に発表した日本最初の大学教授の経歴型に関する国際比較研究が、私にとって本格的な高等教育研究の出発点となりました。飯島宗一学長の時代に創設された大学問題調査室では給料を貰って高等教育を専門に研究することになりました。
 第一次新渡戸フェローとして派遣されたイェール大学(1976〜78年)のクラーク教授のもとで高等教育比較研究に従事した後、マートン科学社会学の体系を博士論文(一九八五年)にまとめました。爾後、科学社会学を方法論的基礎にして高等教育の比較社会学的研究の著作を発表しました。そこにはアカデミック・プロダクティビティの条件や学問中心地の研究をはじめ、OECD十二カ国の高等教育政策、カーネギー教育振興財団の十四カ国大学教授職、八カ国の高等教育、ユネスコ世界科学委員会の高等教育・研究・知識、等の比較研究などが含まれます。
 21世紀COEプログラムでは、高等教育研究開発センターを中心としたプロジェクト「21世紀高等教育システム構築と質的保証」が人文科学分野20件の採択中の一件として採択され、とくに高等教育研究では全国唯一採択されました。高等教育の社会発展に占める比重が高まりつつある現在、学内外から一層のご支援を頂戴しながら、所期の目的を達成すべく努力したいと考えているところです。



世界の集落・遺跡を追って
文・難波 平人

( NAMBA, Hirato )
大学院教育学研究科教授

 この度、栄えある第61回中国文化賞を頂き大変光栄に思っております。私は広島大学に勤務して35年間、絵画(洋画)の教育・研究に専念してきましたが、退職年度に受賞させて頂き感激しております。
 学生には、絵を描くことで自分の個性を発見し自己実現に努めるよう繰り返し語って来ました。私の研究テーマは風土と絵画に関する研究と絵画制作です。
 郷里山口県の漁村の集落を原風景として日本各地の集落を20年描き続け、その後、世界約30カ国の集落・遺跡を取材した作品を20年間、二紀展などに発表してきました。題材は一貫して辺境の集落や遺跡で、歴史に翻弄されながらも「強く生き抜こうとする人間の真実」を追求し、人間とは何かを問い続けてきました。
 そうした制作のまとめとして2004年の夏に、広島大学退職記念大作展を東京芸術劇場ギャラリーと広島県民文化センターで開催し、同時に画集も刊行いたしました。今回そうした画業が「風景画の新領域を切り開いた」と評され認められたことは何よりの喜びでした。
 一方、20年前から中国新聞情報文化センター油絵教室で市民に実技指導を、NHK広島文化センターの文化講座では世界の文化・芸術を紹介してきました。平成三年にそれらの受講生と広島大学の学生とで構成した波の会(現在会員数273名)を結成し、展覧会を毎年県立美術館で開催、ギャラリーコンサートも行うなど大学と地域の文化交流にも努めてきました。今後も後進の指導と生涯教育に力を注いでいきたいと思います。
 このたびの受賞を機に、世界の集落・遺跡シリーズをさらに推し進め、世界中を踏破する意気込みで取材を重ね、30年後にはそれをよりすばらしいものに集大成したいと決意を新たにしております。


広大フォーラム2005年2月号 目次に戻る