平成十六年十月十一日、医歯薬学総合研究科・杉山真知子主査は、どこまでも碧い秋晴れの日、五十二歳の若さで生涯を閉じました。旅行やスポーツが好きだった彼女らしい旅立ちでした。
 面識のある方は「杉山さん」と聞かれると何を思い出されますでしょうか?「怒られた」ことを思い出される方も多いことと思います。仕事に対する姿勢や意識が高かった杉山さんは、後輩に檄を飛ばすことも、上司や先生方にはっきりと物を言うことも多かったかもしれません。でも、その「怒られた」方は、しっかりと裏付けされている知識や自信だけではなく、「優しさ」や「思いやり」を感じられたのではないでしょうか?仕事を通じて杉山さんから学ばせていただいたことがある方も多いことと思います。同僚、後輩を始め先生方にもこれほど信頼のあった人はあまりないでしょう。この法人化の大切な時期に、杉山さんのような道標となるべき人を失ったことは、本当に残念でなりません。
 病を患ってから、特に再発してからの二年間は、とても壮絶な戦いの日々でした。迫り来る「死」に背を向けることなく、しっかりと正面から向き合い、かつ、まわりへの気配りを忘れず、自分自身が納得できる最期を模索し、誰も真似の出来ない立派な最期でした。私達に多くの財産を残してくれた杉山真知子さん…。ありがとう!本当に出会えて良かった。どうぞ安らかに…。これからも私達を見守っていて下さい。
 そんな杉山さんのご遺志の一つが、親の援助を受けることのできない若い人達の自立を援助するために基金を設立することでした。この基金は葬儀の際の皆様からのお心付けも加えて既に設立され、活用されています。この基金で社会に旅立っていく人達を、杉山さんはずっと応援し続けてくださるでしょう。

 以下に杉山さんが遺されたメッセージをご紹介させていただきます。


はじめまして。
 私は杉山真知子といいます。五十二才になりました。
 私は一日も早く家を出て独立することのみ考えていたので、学校を卒業後就職し、すぐに一人暮らしを始めました。三十二年働いた後、病を得て近い将来人生を終えることになりました。人生の終わりにあたり少しは預貯金もあり、これをどうするかと考えた時、是非、養護施設などから巣立つ若い人の自立支援に役立ててもらいたいと思ったのです。
 自分一人の力で生きていくこと、これが基本です。
 一人で生きることができてはじめて他の人と寄り添うことができるのだから。
 皆さんの幸多からんことを祈ります。
杉山 真知子


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