最後の広報委員からのお別れ

読者はわがままです。そのわがままに応えつつ、コミュニケーションの仲介役を果たす誌面を作らなければと、最初は思っていました。しかし、中途半端になってしまいました。もっと自分の主張を出すべきでした。
(平成十六年度広報委員会委員長 総合科学部 福岡 正人)

広報委員の三年間は、法科大学院の設立と国立大学法人への移行と法哲学会学術大会開催が重なり、各号の発行直前は非常にきついものがありましたが、スタッフのサポートのおかげで、なんとかこなせました。同じものでも「見せ方」で違う、ということをフォーラムの編集を通じて実体験できました。
(平成十六年度広報委員会副委員長 大学院法務研究科 平野 敏彦)

広報や編集を真剣に考える人が次の世代の広報を担ってくださることを期待しています。
(大学院文学研究科 奥村 晃史)

三年間、「留学生の眼」のコラムを担当し、様々な広大生の声を聞くことができました。快く執筆して下さった留学生の皆さん、有難うございました。多声的な声を丁寧に掬い上げる、そんな学内誌の発展を切に願っています。
(大学院教育学研究科 倉地 曉美)

二年間の広報委員在任中、広大フォーラム作成にあまり貢献できたとは言えませんが、平野先生を始めとする委員の先生方や事務の方々に助けていただき、編集の勉強をさせていただいたことに感謝しております。
(大学院社会科学研究科 鈴木 喜久)

前任者が辞職したため、その方の任期の後半分一年間、広報委員の任を果たすことになりました。あまり勤勉な委員ではなかったと自覚しておりますので、他の委員の方々には迷惑をかけたことと思います。お詫びいたします。さようなら。
(大学院理学研究科 坂元 国望)

「次号の発明・特許紹介の担当になっています。原稿依頼、まだでしたら、×月×日までにお願いします。広報担当・原田」このメールで広報活動が始まりました。急な依頼に快諾いただいた方々、お世話いただいた事務方、皆さんに感謝します。
(大学院先端物質科学研究科 平田  大)

編集委員としての責務を十分果たせなかったことを申し訳なく思うとともに、他の多くの先生方の大変なご努力に深く感謝致します。このような元気のある大学広報誌は広大にとって貴重なものであり、さらなる発展をお祈り致します。
(大学院医歯薬学総合研究科 緒方 宣邦)

もし広報委員をやっていなかったら、私にとって広大フォーラムがすごく遠い存在であったと思います。しかし広報委員としていろいろ記事を集めたり、また自分が書くことにより世界が広がったような気がします。
(大学院医歯薬学総合研究科 里田 隆博)

工学研究科の広報委員を二年務めました。工学研究科は所帯が大きく全体の意見や要望等をまとめることが困難で、身近な情報に偏りがちです。このような中、執筆等を快く引き受けて頂きました皆様や広報担当の方々に深く感謝致します。
(大学院工学研究科 飯澤 孝司)

「PHOTO ESSAY」を一年間、「世界の大学シリーズ」を二年間担当し、多くの方に執筆していただきました。また一読者に戻ります。編集という観点を離れて、新しい広報誌を読むのが楽しみです。お世話になりました。
(大学院生物圏科学研究科 水田 啓子)

フォーラム編集委員二年の感想は、「結構ちゃんとやってる広報誌だな…」です。大学執行部のスポークスマンに堕さず、さりとて衆俗におもねらず。また、裏方の中の裏方たる事務部に、原田さんをはじめ心優しい職人が多い事実もh広報fに値します。
(大学院国際協力研究科 井上 星児)

連載記事等の執筆をお引き受けいただいた諸氏並びに読者の方々に御礼申し上げます。広報担当事務部の方々(特に原田様)にはお世話をおかけしました。ありがとうございました。委員長を務められた先生方、本当にご苦労様でした。
(原爆放射線医科学研究所 藤本 成明)

最後を看取る?ことになりました。ビジュアルページを担当し、途切れることのないプレッシャーと負担は小さくなかったものの、この七年間があればこそ、多くのすばらしい学生や教職員の皆さんに出逢えました。多謝。
(大学院教育学研究科 三根 和浪)

今年度初めて委員として参加し、〜表紙のひと〜インタビューと十月号・十二月号のフォーラムギャラリーを担当しました。生き生きと活躍する人々と出会えたことは、私自身にとっても良い経験になりました。
(大学院教育学研究科 馬場 雅恵)

国立大学の法人化前後二年間、大学広報誌として全国的にもユニークな存在である本フォーラムの編集に携われて光栄に思います。「新しい酒には新しい革袋を」と申しますように、新しい広報誌に期待いたします。
(図書館部学術情報基盤整備グループ 諸富 秀人)

歴史ある広大フォーラムの閉幕と同時に広報委員の任期を終えることとなりました。在任期間中お世話になった方々に、この場をお借りして篤く御礼申し上げます。新しい広大広報に期待致します。さようなら。
(保健管理センター学生相談室 鈴木 康之)

コンピュータとインターネット利用を中心に仕事をしました。試行錯誤の連続でしたが、本学のWebサイトを広報委員会の管理する公式サイトとし、その管理体制を確立するお手伝いをさせていただいたのが印象的でした。
(情報メディア教育研究センター 稲垣 知宏)

広報委員会では、普段交流のない方々と接することでいろいろな刺激を受けることができました。「広大フォーラム」の編集にはあまり貢献できませんでしたが、ここで得られた経験を今後に活かしていきたいと思います。
(情報メディア教育研究センター 庄司 文由)

英語で国立大学法人化は何と訳すかご存知でしょうか。
 約六年間、広島大学に関するさまざまな事柄を英語に翻訳する機会をいただき、有意義な経験を得ることができました。これまでの翻訳が外国人の方たちに興味関心を持って頂くきっかけになれば幸いです。長い間、ありがとうございました。(ところで、冒頭の質問の答えはbecome semi-autonomousでした。)
(外国語教育研究センター ラウアー,ジョゼフ・ジェームズ)

社会と大学との連携による新たな可能性が広がっています。広大の広報の充実により、社会との多様な連携がさらに開発され、社会と大学が共に発展していくことを祈っています。四年間ありがとうございました。
(地域連携センター 橋本 康男)



編集後記

 本年度からの法人化に合わせて、昨年度をもって全学の委員会体制は原則的に廃止されましたが、広報委員会は学内誌を継続的に発行する必要上、一年間の暫定的な延長が認められていました。その役割は、本号を発行することで終えることになります。
 本年度は法人化元年でしたので、本当はさまざまな問題を『広大フォーラム』で話題にあげ、構成員間の意見の交換を行えるようにすべきでしたが、結果的には十分な「フォーラム」の場とすることができなかったことは残念であり、力不足を反省しています。言い訳ですが、「暫定的」で「最後」の委員会では、先を見据えた編集方針を立てるのが困難であったのも確かです。
 四月からは、新しい編集組織が学内誌の発行の任にあたります。私自身は現在の発行スタイルがとくに悪いとも思っていませんし、長い年月をかけて歴代の広報委員会が努力して形作ってきたものでもありますので、『広大フォーラム』の廃刊には残念な思いが強くあります。今後は、「トップ」による編集組織とはなりますが、これまで以上に、「トップ」を含めた構成員間のコミュニケーションをはかる一助となるものをめざしてもらいたいと切望しています。
 最後に、読者ならびに投稿頂いた皆さん、広報委員・学生広報スタッフの皆さん、そして実質的な編集作業を裏で支えてくれた担当事務職員の皆さん、ありがとうございました。

 (最後の広報委員会委員長 福岡正人)


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