『ナチスと闘った劇作家たち ―もうひとつのドイツ文学』 総合科学部 島谷 謙 著 九州大学出版会/364頁/2004年/3,780円 |
|
二十世紀前半のドイツ文化は作家や知識人の大移動をもたらした亡命をぬきには語れません。本書はナチス政権下に亡命した五人の劇作家(カイザー、ヴェルフェル、ヴォルフ、ブルックナー、ヴァイゼンボルン)の代表作を中心に論じています。彼らは二度の世界大戦に遭遇し、祖国への帰還を夢見た二十世紀ドイツのオデュッセウスです。 彼らの作品の主題はユダヤ人迫害、亡命、抵抗、日本の悲劇、歴史意識、運命観など多岐にわたります。いずれの作品にも大戦間の人間の葛藤や悲劇が彫り深く形象化され、史実の重みを湛え、時代空間を視覚化する想像力の在りようが窺えます。そして時代の諸条件の下で生きる人間の普遍的な姿が見られます。二千年の歴史を持つ演劇は二十世紀最大の難問であるナチズムやユダヤ人問題をどう捉え表現したのか考察し、時代の記録たる演劇の造形力と芸術的可能性を探っています。『読書人』の書評や『iiV Book Lounge』もご覧下さい。 |
『漢文力』 総合科学部 加藤 徹 著 中央公論新社/296頁/2004年/1,890円 |
|
さる八月二十五日に中央公論新社から上梓した拙著『漢文力』は、広大のパッケージ科目「中国文学の世界」で私が喋っている内容を本にまとめたものです。授業では「なぜ緊急電話の番号は一一一ではなく、わざわざ九や〇を混ぜるのか」「キティちゃんの顔に口がないのはなぜか」など現代的な設問を学生さんに考えてもらったあと、解答例として該当する漢文を講読する、という形で進めています。本書の内容は、広大での授業そのままです。 おかげさまで、九月五日付け『産経新聞』の書評で南伸坊さんが「読んでいるうちにモーレツにひとにすすめたくなってしまった」「この本は一味違う」と書いてくださったり、九月十二日付け読売新聞の「著者来店」や、共同通信社配信の著者インタビュー(中国新聞には九月二十六日に掲載)が取材してくれたり、と、好評を得ました。肝心要の広大生の皆さんの反応は、今期の授業で明らかになる訳で、私も緊張しています。 |
『実解析と測度論の基礎』 大学院理学研究科 盛田 健彦 著 培風館/278頁/2004年/3,570円 |
|
大学の教養で習うリーマン積分では、定積分というのが先に出て来て、それを使って面積や体積を定義しますが、本書で扱うルベーグ積分という積分論の立場では、全く逆で、面積や体積を抽象化した測度という概念を先に定式化して、それを用いて積分を定義するという方法をとります。今や確率論や解析学の専門家が「積分」といえば、このルベーグ積分のことといってよいでしょう。 本書は、確率論、力学系の研究・教育の経験を生かして、そのような積分論と実解析の入門書として書いたものです。「読者として対象とするのは、研究者を目指す目指さないに関わらず、大学院まで進学して勉強をしたいと思っているような学生で、すでにこの分野の教科書は一冊持っているが、それでも、もう一冊欲しいというような本を書いて下さい」という出版社からの希望に応えることは、自分の力量では不可能とは思いますが、気合だけは感じ取れる作品になったと思います。 |
『覚悟としての死生学』 総合科学部 難波 紘二 著 文藝春秋/230頁/2004年/735円 |
|
エイズが社会問題として浮上した1980年代に一般教養科目として性倫理を教える必要性を痛感しました。その講義録がのちに『歴史のなかの性』となりました。90年代になると性教育はもう教養的教育として大学が教える必要がなくなり、替わって自殺、殺人、売春、脳死、選択的中絶、臓器売買など、生命倫理教育の必要性を感じるようになりました。日本の公教育では、宗教・哲学・倫理・論理学がきちんと教えられていないのです。 そこで講義の傍ら、本格的に宗教・哲学・倫理学の書を読破して、『生と死のおきて』という教科書を書きました。授業は講義形式をやめて、学生をチームに編成し、「自殺は許されるか」などいくつかの論題を設定し、勝ち抜き戦でディベートしてもらいました。この教科書が編集者の関心を呼び、「一般市民向けに新書として書き直してもらえないか」という要望があり、できたのがこの本です。皆さんもぜひ手にとって見てください。 |