PHOTO ESSAY -79-  江戸時代の探究心、観察眼と職人技をみる




写真1 「身幹儀」の頭蓋

図1 『解体新書』の頭蓋

図中の「イ、ロ、ハ、…」に対応して、イ 額骨、ロ 前頂骨、ハ 後頂骨、…と『解体新書』の本文中に説明があります。現在の用語では、それぞれ前頭骨、頭頂骨、後頭骨となります。原図は『ターヘル・アナトミア』(クルムスの『解剖図譜』)ではなく、トンミュスの『解体書』にあります。

写真4 「日渉園」にて

「日渉園」は江戸時代の後藤家(浅野藩の藩医)の薬草園で、現在まで残っていた中央部の庭園が原田康夫前学長らの努力で「身幹儀」とともに大学に寄贈されました。現在は薬室と四阿が復元されています。写真は手入れ前の庭(筆者左から3人目)
重要文化財「身幹儀」(星野木骨)
“Shinkangi”(Hoshino Wooden Skeleton), an important national property of Japan
文/写真・片岡 勝子

( KATAOKA, Katsuko )
大学院医歯薬学総合研究科
探索医科学講座教授・医学資料館長

写真2 「身幹儀」頭蓋のX線側面像

赤いで示したのはトルコ鞍。
 広島に星野良悦という町医者がいました。郊外に薬草採取に出かけた折に草叢に髑髏を見つけ、下顎脱臼の整復術を考案しました。良悦は人体骨格の構造を知ることの重要性を痛感し、藩に願って死体の下げ渡しを受け、軟部組織を除いて骨を取り出し、工人、原田孝次が木製骨格模型(木骨)を300日かけて制作、寛政4(1792)年に完成しました。後に良悦は木骨を江戸に持参、杉田玄白、大槻玄澤らが絶賛して「身幹儀」と命名しました。玄澤が主催したオランダ正月の祝い(芝蘭堂新元会)の余興「蘭学者相撲見立番付」で、良悦は「当相撲の大骨、古今の大当り、大力士」として最高の地位を与えられています。

 「身幹儀」には舌骨と耳小骨を除く全身の模骨が揃っており、椎骨(背骨)の一部を除いて各骨は別々に作られ、臍と臍孔で結合するようになっています。『解体新書』(1774年出版)の骨格図とその原図に比べて、「身幹儀」は遥かに正確精巧です。図1(『解体新書』の頭蓋)と写真1(「身幹儀」の頭蓋)を比べてみて下さい。頭蓋のX線像ではトルコ鞍(脳下垂体が乗る鞍)などの内部構造を見ることができます。また、木の切れ目や針金から、制作にあたっては真骨頭蓋を主な縫合(骨の結合)に沿って切り分け、各部の模骨を作った後に、これを組み合わせて頭蓋内から針金で留めたと推察されます。胃カメラで頭蓋内を覗くと、細かな内部構造もほぼ正確に作られ、神経や血管が通る多くの孔も頭蓋内外を連絡しています。実物に学ぶ重要性とともに、良悦の探究心、孝次の観察眼と技術の確かさに驚嘆します。しかし、せっかく作った頭蓋内の構造を当時は見ることができなかったのです。頭蓋を閉じて内部構造を隠してしまったのは、無傷の頭蓋と同じように作りたいという欲求がよほど強かったからでしょうか。
 「身幹儀」は日本で最初に作られた木骨であり、極めて精巧で保存状態もよいことから、平成16年6月に国の重要文化財に指定されました。

医学資料館のホームページ
 http://home.hiroshima-u.ac.jp/ihistmed/

写真3 「身幹儀」の全身像


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