学長インタビューNo.22
学長直撃学生インタビュー
日時:平成9年6月23日 午後2時30分
場所:学長室
広報委員会では、「学生に読まれる広大フォーラム」をテーマに、去る六月十四日、学生の意見を聴く会を持った。席上「もっと学長・教職員・学生の赤裸々な人間像を浮き彫りに」との要望が出された。
今回のインタビューには、広報委員だけでなく学校教育研究科の森藤ゆかりさんと本山和寿君にも取材してもらい、学長再発見を試みた。
学生=学長は、現在、留学生の受け入れについて、かなり力を注いでおられるご様子ですが、今日は、ご自身の留学経験について伺いたいと思います。かつて学長はイタリアに留学されていたそうですが、その間の、喜・怒・哀・楽のそれぞれについて一言ずつお聞かせください。
学長=まず、「喜」については学生寮のことに尽きる。昭和四十年、心細い話だけど現金二百ドルのみで私は日本を発った。パビア大学(イタリア)耳鼻科への留学である。一宿一飯の恩義と言うわけではないがこのときの寝食のことが忘れられない。学生寮はコレッジョ・ボルメオがあてられたが、これがすごい代物だった。中世のカトリック系の建物で、チャペルや音楽室があり、内装は壁画や装飾品で飾られまるで宮殿のような風情であった。しかも、昼夜の食事には給仕がついてワインと四皿の料理である。これはやっぱりうれしかった。
次は「怒」のこと。留学前に、イタリア語はおおよそは習得していた。しかし、留学当初は微妙なニュアンスまでは分からなかった。だから、皮肉を言われようが何を言われようが、ただニコニコしていた。しかし一年くらいすると微妙な表現もすべて理解できるようになり、その時初めて「なんだ」と怒ったりもした。
「哀」のこと。なにしろお金が足りなかった。ご存知、私はめしよりもオペラが好き。だからお金はつぎ込む。レッスン料を払うと遊ぶお金なんて当然なくなる。歌と研究以外することとてなく哀しい散歩がしばしばであった。でも、本当に困ったときは、仮病を使いドル持出し許可用の診断書を送り日本にいる妻から緊急援
助をしてもらったりもした。
最後に「楽」のこと。ともかく、なんといってもオペラは楽しかった。ミラノ音楽学校の先生にテッセラという一年間のオペラ観賞券を買っていただいて、よく観にいったものだ。夜中にオペラが終わり、三六キロの道をバスでミラノから寮に帰る。苦労はしたけれど楽しかった。
振り返ってみると、私は、イタリアでずいぶん多くの人たちにお世話になった。自分の受けた恩を返すというわけではないが、外国からのお客さんについては可能な限り我が家に招待するなどして歓迎の意を表するようにしている。
学生=もう一つお伺いします。前回のフォーラムで交通事故のことが大きく取り上げられ、学長もインタビューに応じられ、お心を痛めておられる様子が伝わって参りました。ところで「医学部では人身事故を起こしたら医師免許は取得できない」と聞いていますが、これは本当ですか。私たち教員免許を取得するものにとっても人ごとでないように思いますので、その背景などをお聞かせください。
学長=原則的には国家試験を受けることができない。したがって免許の取得はできない。医師は、人の命を預かる職業ということもありきわめて厳しい。事故については人身事故だけでなく、どんな事故でも免許取得は難しい。このことは、法律できちんと決められている。そんなこともあって医学部の学生には
入学した時点から、何度も何度も事故の回避を指導し、たとえば、広島市だからということもあるが、車を持たないような指導もしている。
ところで、医学部の学生に限らず、交通事故は、前回のインタビューでも言ったが、とにかく、「夜零時から三時の間は、絶対に車に乗るな」と繰り返して言っておきたい。この時間帯は本来寝ているはずであり、ここで、起きている時と同じ感覚で動くことが重大な事故に結びつくと考えられる。夜の勉強はサッサと片づけ、早寝早起、ぜひとも朝六時くらいから一日の生活を始めるようにしてほしい。
私の毎日は朝六時から始まる。
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