特集のまとめに代えて
〜協定交流の可能性を考える〜
多様な経験と吐露された思い
以上、これまで協定交流に、教官・学生、あるいはコーディネータやシステムの開発担当者など様々な立場から関わった諸氏の証言を読んで戴いた。些か構成に系統性を欠いたため、内容的な流れがなく、読みづらい点があったことは確かであり、反省点である。
ただ、ある程度予想できたとは言え、結果的にこうなったと言わざるを得ないほど、各執筆者の思いは多様な経験に基づかれていた。これも事実である。
編者には、どだいこれら経験や意見をコンパクトにまとめる能力はなく、読者の優れた感覚や良識に期待したいが、あえて整理するとすれば、(1)協定交流の今日的課題、(2)相互交流としての前提、(3)協定活用の意義、とは何か、ということになろう。
「協定の休眠化現象」と交流の偏り
まず、(1)の協定交流の課題について指摘されていたことは、一.「協定の休眠化現象」と対策、二.協定校選定と基準、三.学生交流における留学生受け入れへの体制整備、四.交流推進に向けた財源の確保、のおよそ四点である。
いずれも甲乙付けがたい重要な問題だが、編者が自ら実感していることは第一の「協定の休眠化現象」である。
かつて自己の専門に関わる調査のために訪れた本学の協定校で、まず次のような洗礼を浴びた。
「あなたの大学は協定を結んでおきながら、関係者が来られたのは最初の数年だけですね」と。
持ち前の図太さからか、この皮肉混じりの言葉にも消沈するようなことはなかったが、この体験は今もって忘れ難い。
しかし、これが何も個人的な限られた事実でないことは、図4及び前掲「資料」に示されている。
具体的に言えば、前掲図2で交流が認められた国名が、最近の交流実績からは消失していること(図4)、また交流実績の多い国家についても、実際には交流が特定の協定校に集中しており、中には最近ほとんど交流例の認められない協定校も存在していること、さらに個々の協定校との関係で言えば、協定内容には挙がっている項目でも、近年実績を認めえない事項の存在する例が少なくないということである(「資料」)。そして、最後の事例で最も多いのが、学生交流(派遣・受入れとも)である。
協定活用に向けた提言と期待
松岡氏の指摘にもあるように、今日の協定交流は事実上「人に頼った交流」であり、先方の諸般の事情もあろうが、中心的な人物が退官・転出等で不在になると、途絶えがちになることは確かであろう(『広島大学における国際交流』沁Q照)。
従って、この体質から脱却すべく、「組織的対応」=大学間・部局間という交流レベルに併せた、組織としての体制作りが必要とされることは氏の提言にあるとおりである。
ただ、そうした協定交流の長期維持・発展に向けた組織的整備には、現実的な問題として、要員の恒常的配置が必要であり、通信や人員の派遣・受入れ、共同研究等の実施のための財源確保が重要となる。
協定交流に拘わらず、「国際交流にはカネが掛かる」「国際交流は重要と“言うは易く行うは難し”」は経験者諸氏の実感であろうが、真摯に取り組まんとすれば当然である。運良く国際科研費等を手にすればよいが、現に多くは手弁当であろう。良心のみでは如何ともしがたい点も確かに存在する。
ところで、交流協定には通常、交流内容のほかに、「有効期間等」「改廃」に関する規定が盛られており、多くは五年程度を有効期限とし、改廃は半年あるいは一年前に相手に通告・協議することになっている。ただ本学には、これに関する実施の先例はない。
協定交流は、例えばT大学でも深刻で、膨大な数の協定について見直しを行い、交流実績に乏しいものを中心に大胆な協定の整理を断行したと聞く。本学も、あるいはこの路について検討すべき時に来ているのかも知れない。
むろん、協定交流発展に期待がもてないわけではない。例えば「財団法人広島大学後援会」による「国際交流助成金」事業も活用しうるし、また「短期交換留学プログラム」の実施が学生交流発展の契機となる可能性もある。
とは言え、本学構成員が協定校を認知するなど、自ら門を敲く積極性を持つことが前提であるに変わりはない。
(編者:広島大学調査室 橋本 学)
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