留学生の眼(59)

日本の自然と私

文 方 江英(Fang, Jiang Ying) 教育学部日本語学科
日本語・日本文化研修生



トンネルを抜けると…

   日本人が自然によく親しむということはずっと以前から知っていたが、直に自分の心で感じ取ったのはやはり日本に来てからだ。
 関西空港から広島までの新幹線はトンネルの中を走ることが多いが、時にトンネルを抜けて野原に出て、私の目を引いたのは家々だった。きちんと並んで、目立つように色を鮮やかに塗る中国の家々と違って、日本の家はほとんど灰色で、ばらばらだという感じだった。「やっぱり中国とは違う」とはじめて異国に来たことに気が付いた。

嵐山 雨の中の嵐山


小さな花に季節を感じて

 日本のテレビを見ると、自然や風景の場面がよく出ている。音楽が流れる中を、きれいな風景が一面に広がっている。ごく普通の草も花も可愛らしくきれいに写っているのによく感心する。
 一人の日本人の友だちはよく「うちのバラのつぼみが出はじめたよ。朝露がついていて、ものすごくきれいだよ」などと自分の子に誇りを持っているお母さんのように自慢する。
 近頃夕食後よく散歩に出かけるようになった。健康のためというよりも自然に親しみたいのだ。道端に咲いている名も知らない野花も、庭で満開のバラの花や牡丹の花などもいつも私を楽しませる。
 はじめて私が感動したのは雪柳(ゆきやなぎ)の花だ。ある夕方買い物から帰る途中、いつも青々とした木の中で一つ、二つと星のような白いものが目に入った。「えっ、これは何」とよく見たら、花だった。その時はまだ寒い時期だった。つつじの花も桜の花もまだ影も形もなかった。この小さな、ひ弱く見えて、実は強い花が私の心を深く打った。それから十日間もたたないうちに緑の木は真っ白な何万輪もの花に覆われて「なんというにぎやかな感じだろう。これを見て、寒いながらも春がもう来たことが分かる」と感動させられた。
 桜の花の感動は奈良で受けた。三月の末ごろだったが、氷室神社の前の大きな桜の木が満開になった。風に吹かれて、花びらがふわんふわんと落ちてきたのは奇妙に淋しげに見えた。その時、私は武士の死などまでは想像しなかったが、泣きたい気持ちだった。


自然に優しくなった私

 よく自分自身の変化を不思議だと思う。私はどちらかというと、おおざっぱなタイプだ。細かいことはあまり心にかけないのだ。もちろん自然のありがたさもあまりまり感じなかった。しかし、日本に来て、自然に優しい心になり、感傷的になった。自然を自分の部屋に持ち込むように生け花も飾るようになった。
 これは不思議だと思いながらも実は当たり前のことなのだ。日本は自然に対して感傷的で、繊細さを持っている国だ。自然を神として崇め、自分の目のように大切にしている。山は青々とし、荒れはてた所もない。道端や川端にだれかが植えたいろいろな花がいつも行き来する人の目を楽しませる。「秩序なく、見にくい」家々も、自然を愛しているから周りに花や木を植えるなどいろいろ工夫をしていることが分かった。
 この国に滞在し、この国の言葉と文化を学びながら、この文化の雰囲気にひたっているうちに、私自身は自然に対する気持ちが確実に変わったように思う。日本人の自然に対する心の優しさ、繊細さを体験を通して身につけることは、中国と日本 の文化交流の研究を専門にする私にとって最も有益なことだと思う。



プロフィール

方 ◇一九九三年七月、中国 浙江省杭州大学日本語学科卒業
◇一九九六年十月、日本語・日本文化研修生として来日






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