生活文化と人事交流

文 秋葉 欣哉(理学部教授) 秋葉



 六月の初めのある朝、ががらの宿舎から研究室へ通う途中で時折一緒になる他学部の先生と歩きながら話した時に、「大学教員の任期制について」の話題がでた。その時、多少関連した記事を、有機合成化学協会誌(会員数五千の全国的専門誌)の七月号の巻頭言に書いたという話しをしたところ、数日後に「フォーラム」の岡本委員長から、その内容でよいからぜひ寄稿してほしいと言われた。
 「フォーラム」からは、ごく最近にフンボルト賞の受賞の内容である「超原子価化合物の化学」についての解説を依頼されたが、この件については朝日・読売・産経・中国の各紙にすでに六回も報道されており、ことに五月二十日の中国新聞にはかなり詳しい内容が解説されているので、お断りしたところだったので、今度はお引き受けすることになった。前記の巻頭言を多少手直ししたもので、お許しをいただきたい。
 科学一般や化学の発展の要因やそれらの振興のための施策については、「科学技術基本法」や「科学技術基本計画」など最近とみに活発に議論されている。ことに、「大学教員の任期制について」の答申が大学審議会の総会で取りまとめられ、平成八年十二月十日の文部広報に掲載されている。今回は、これらのための基本的要素であるとともに、最近良く話題となる人事交流について個人的経験も踏まえて考えてみたい。
 研究や組織の活性化の最重要事は人事交流だろうと考えられる。このことに異論はない。大学については、米国では、大学、大学院、教官としての初経験地がそれぞれ異なるのが一般であることはよく知られている。ドイツでは、大学、大学院は同じことも多いし、ハビリタチオンを得るところも同じところのこともあるが、大学教官となるためには場所を移らなければならないし、昇進するためにはまた移らなければならない。しかし、米国ではテニャーをとれれば、ドイツでは助教授になれれば、移籍する義務はなくなる。
 教授になってからも、業績の評価は行われ、教授にも種々の段階がある国もあるが、移籍する義務のある国はないようである。この立場になるころには、家庭の事情や社会的立場として一般に動きにくくなっているのが普通だからである。したがって、教授に昇進する機会を含めて、数箇所の大学(研究機関)で経験を積みかつ実力を示す必要があると考えられる。これは文明国の常識である。
 わが国でもこのことはよく知られているが、実行されているとは言いがたい。そこで、大学教員の任期制についての答申が大学審議会からだされ、社会的にも取りあげられる理由も理解できる。改革には、必ず痛みを伴うわけであるが、以下のことを全国的に検討し、実行することを提案したい。
一. 学位を授与した大学は、学位取得者を直ちに教官(助手)としては採用しない。これが実現されれば、人事交流は自然に盛んになると思われる。さらに、大学入試における少数大学への集中も次第に解消すると思われる。
二. 教授として移籍するときには、研究費を支給する。三千万円から一億円が適当と思われる。人事交流を具体的に支援する必要がある。
 この二項目は、国公立の大学で、全国的に実施できるはずのものであろう。(やむを得ない場合には、一定のグループの大学間で実施することから始めるのも一法である。)
三. 育英会の奨学金を貸与から給付に、せめて博士課程後期(博士課程)の全学生にそうすべきである。二十五歳を過ぎた若者が返済金を背負って、あるいは親のすねかじりで勉学することは、先進国では、きわめて稀なのではないだろうか。
 ポスドク一万人計画で博士号取得後の流動性を増すと同時に、異なる経験を積む機会を与えるのも結構なことである。続いて、前記の第三項を実現していただきたい。
 以上のことには、家庭のこと、生活の積み重ねによる地域社会との関連のことなどが、全く考慮されていない。わが国でも、そろそろこのことを十分に考慮した生活ができるようになるべきだろう。統合移転を終えたわが大学の立地条件をみると、このことを切実に感じる。働き盛りでしたがって家庭的にも、重要な時期にあると思われる方々に単身赴任が多くみられる。国により生活文化の違いがあるとは言え、重要な問題であろう。
 ドイツでは、再統一や外国軍の撤退などに関する経済的負担がきわめて重要な問題となっているが、現在までのところ、義務教育から大学院まで教育は国家負担である。科学技術立国を標榜するわが国としては、大学審議会答申の「第三項:関連施策の推進」に努力することがまず第一に必要である。現在、種々な改革案が検討されているので、これらの提案が取り入れられることを望みたい。
 注:大学審議会答申(文部広報、平成八年十二月十日)「大学教員の任期制について−大学における教育研究の活性化のために−」の中の「第3項:関連施策の推進」
 任期制をはじめとする各大学における教員の流動性向上のための取り組みを支援するため、一.教育研究環境の整備充実、二.教員採用に関する情報提供の充実等、三.若手教員の発想を生かした教育研究の推進、四.教員の処遇の改善、五.産官学の交流の促進等に関する施策を推進する必要がある。
(あきば・きんや)



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