最近の就職動向と大学教育
西川 節行
(Nishikawa, Sadayuki)
総合科学部助教授
一. はじめに
今年は就職協定が廃止され、企業の採用活動は予想通り早く始まり、そして長く続いたようだ。幸い景気が少し回復したため、昨年よりずっと良い環境だったと思う。
筆者は定年近くまで都市銀行に勤務し、一時人事部で大卒採用の責任者を務めたことがある。そのこともあって、現在総合科学部の就職担当顧問を仰せつかっている。
当時は、一九六〇年代の終わりの頃で、日本経済は右上がりの成長を続けていた時期にあたる。各職員にターゲット大学を分担させ、自分でも一つの大学を担当した。大学ごとに入行三、四年次までのOBによるリクルーターチームを編成させ、事前に在学生の情報を収集させた。採用活動に入ってからは、目標とする学生をキャッチするため、空港で待ったこともあるし、下宿や実家にまで押しかけたこともある。そして内定を出した学生を他社に取られないために、銀行の寮やリゾート施設に缶詰にしたりした。もちろん、採用解禁日には、セミナー等に多数の一般学生が押しかけたが、リクルーターによる事前、個別コンタクトの構図は、現在に至るも変わっていない。
採用に関しての企業側の論理は次のようになると思う。
- 企業の運命は人材で決まる。従って優秀な人材の確保は企業にとって至上命題である
- 優秀な人材を、特に同業他社に取られないこと。そのため、同業他社より一日でも早く行動する必要がある。
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以下、理系のメカニズムはかなり違うので、文系学生について、広大生に相応しい大企業への就職を前提として考えてみる。
二. 就職協定廃止による影響
(1)就職協定の廃止
正常な教育環境の確保のため大学側と企業側が結んでいた就職協定が、二十四年振りに本年をもって廃止された。廃止の理由として、協定の有名無実化、通年採用やインターンシップなど採用形態の変化等が挙げられているが、その根底には自由化への社会的思潮が強く働いていると考える。
(2)「申合せ」と「倫理憲章」
就職協定に代わるものとして、大学間では、就職・採用活動に関して「申合せ」を行っており、企業間では、内定開始日や大学の学事日程の尊重等について「倫理憲章」を定めている。しかしいずれにせよ、現実には企業側で守られていない。
(3)就職協定廃止による就職活動への影響
- 早まった採用活動
昨年末と本年はじめに東京と大阪の企業を訪問したときは、各企業とも方針を決めかねて他社の動きを注視している、と言っていた。大方の意見としては、三〜四月頃は大学は学事日程が重なり就職どころではないだろう。他方、企業ではこの時期は、決算、人事異動、新入社員の入社、研修などあり、人事部が動ける体制で
はあり得ない、とのことだった。
しかし、資生堂のように堂々と採用活動を早めると宣言し実行する企業が現れ、その結果、企業の採用活動は一気に早まり、昨年より一か月以上も早まったものと思われる。
- 企業の担当者の大学訪問の増加
就職協定による企業の採用担当者に対する規制がはずれたためか、今年は企業側の人事担当者の大学訪問が増えた。これは一つには、景気の回復とともに、あのバブルの頃の採用難の苦い記憶によることもある。
- 内定辞退者の急増
はじめから予想されたように、採用時期が早まり全体に長期化したため、内定をもらったが、本命会社の試験はまだこれからと言うケースが続出。六月から七月にかけて、十人以上の学生から相談を受けた。結論的には、相手企業にも大学にも迷惑がかかるが、本人の一生の問題であり、無理はあっても、できるだけ希望の道を選ぶようアドバイスした。他方、東京から西条に乗り込んで来て、内定者の引き留めを図った企業もある。これなど担当者のご努力に頭が下がる思いがする。
- 就職協定廃止は広島大学にとって有利か
昨年までのような地域性を無視した全国一律の協定は、もし厳格に運用されていたら、地方の学生にとって絶対的に不利であったと考える。大都市圏の学生は一日四、五社回るのに、こちらからでは二日に一社が精一杯である。就職活動の弾力化をメリットとして捉え、学生のために生かして行くべきだ。
三. 就職協定廃止と大学教育
(1) 大学教育へのしわ寄せと対策
就職協定廃止により採用開始の時期が一か月余り早まり、終期に変化がないことより、全体に就職活動期間が長期化し、そのしわ寄せで大学教育に支障が目立っている。
この問題については、一方で大学の文系の教育が、客観的に見て、企業サイドの求めるものと大きくかけ離れていると言う現実がある。したがって、大学教育のひずみに企業側がなんら痛痒を感じていないことから、対策に難しいところがある。
文系大学教育と企業ニーズの乖かい離は、もともと企業側の終身雇用、年功序列、職場教育主義など、わが国独特の日本的経営システムに起因する要素が大きいと考える。
(2)大学の対応は自由な発想で
大学側から見ても、大都市圏や地方など立地条件、大規模校と中・小規模校、有力校校と非有力校、国公立と私学などで当然考え方が異なろう。
全国一律ではなく、それぞれの立場に沿って自由な発想で、この問題を考えて行く必要があると思う。
四. グローバル時代の企業と大学教育
企業と大学教育について、実際に体験した三つの事例で考えてみたい。
(1)大学院修了者の多い外国の経営者
銀行から出向して、関西経済連合会の国際部長を務めていた折り、日独経済会議など幾つかの本格的な国際会議を主催し、世界経済フォーラムなど多くの会議に参加した。その時いつも気になったのは、欧米やアジアの経営者の大半が、博士号、弁護士、会計士、技師などのタイトルを持つのに比べ、日本の経営者は、会長、
社長、部長など会社の肩書きばかりであることである。この教育観の違いが、現在でも主要な経営理論は全て外国製になっているように、今後ますます彼我の経営格差を大きくして行くように思う。
(2) 外国銀行での採用規準
オイルショックの直後、オイルダラーを目指して、テヘランで日・米・イランの合弁銀行を設立したときのこと。試みに、もし個人としてこの銀行で働くとしたらどうなるか、頭取に聞いてみたことがある。当時、大学法学部卒、銀行経験十五年であった。
これに対する回答は「当銀行では、専門の弁護士を雇っているので、あなたの法律知識はいらない。したがって高卒扱いとなる。次に、銀行経験の中で外為経験は役に立つが、預金、融資、人事の経験はそれぞれ専門の職員がいるので不要。それを差し引いて、高卒で銀行経験十年という評価になるだろう」とのことであった。日本でも理系、技術系の評価はこれに近い。
(3)企業訪問で
昨年秋、東京で就職人気の高い会社を訪問し「求める人材像」を尋ねたところ、五つのポイントとして、豊かな個性、創造性、チャレンジ精神、問題解決能力などを挙げてくれた。「最後は学力ですか」と尋ねると、「いや、運動部、サークルなどでリーダーシップを発揮し、存在感のあること」とのことであった。
これまで多くの企業を訪問したが、ほとんどが学部不問で、学力を評価するといった企業は一社もなかった。テストはするが、あくまでも参考程度。全社が面接で決めるという。
(4) グローバル時代の大学教育
このグローバルな時代、日本だけが体力とガッツだけの採用を続けておれば、わが国経済の先行きは心許ない。
今年はビッグバンを控え、金融機関数社から、数理系学生の推薦を強く頼まれた。これからの日本が国際社会で生き残るためには、戦後維持してきた日本的経営システムから、能力主義、実力主義の国際的なスタンダードに移行せざるを得ない。
その時、企業は必然的に、大学の「高い専門性をもった教育」に期待することになるであろう。このあたりに、これからの大学教育の進む一つの方向があるのではないかと考える。
五. おわりに
- 最近の学生の就職観
これまでの日本的経営のシンボルであった終身雇用的な考え方が崩れ、企業で経営や技術を身に付けて将来独立したい、という学生が増えている。そのため、たくさんある歯車の一つにしかならない大企業より、トータルな経験ができる中小企業への志望が増えている。
- 素人から専門家の時代へ
これまでの右上がりに成長した時代から、将来が見えない時代へ。そして、体力と意欲があれば何かしら仕事ができた時代から、すべて創り出して行かねば何もできない時代への移行に伴い、専門家、プロ、資格への志向が高まっている。
- 公務員の勧め
先日テレビで東京の大学の合格発表を見ていたら、この大学を志望した動機として「将来、国家のため、国民のため役に立つ仕事がしたいから」と言っていた。こんな言葉は、学生にとってとっくに死語かと思ったら、東京ではまだ健在であった。
総合科学部では元気ある学生が、もう三年も公務員試験勉強会を続けている。筆者は、本学学生が能力を発揮できる有力な分野は、公務員だと確信している。
- エクステンシヨン講座
東広島キャンパスに移転して、清潔で静かなこの上ない学問の環境を得た。その反面、押し合いへし合いの「痛学」、他大学生との触れあい等、外部からの刺激が少なくなった。また学生街に一般に見られる、語学や資格の専門学校が近くに存在しないのは、学生にとって気の毒だ。そこで他の多くの大学でやっているような
講座を学内でできないものか、生協などと相談している。有料になるであろうが、少しでも学生諸君の将来設計の役に立てれば良いと思う。
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