2000字の世界

棚 の 上

文・ 村田 恵子(Murata, Keiko)
教育学研究科教育科学専攻



 真夏のメインイベントであるお盆も過ぎた。いつもぎりぎりまで何だかんだ追われてしまう。前もって指定席でもとっておかないと、帰省ラッシュの一員としてもみくちゃにされるのを覚悟しなければならない。
 想像しただけでぐったりしてしまう。結局、今年は帰るのをやめることにした。


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 帰らずに何をしていたのかというと、ずばり掃除である。
 特にこれといったきっかけがなくても、お盆の前は、いつもよりも力を入れて掃除をする。普段、見てみぬふりをしてきた隅々にこだわって拭き掃除をしてみたりするのだが、あちらこちら気が散って、掃除をしているのか遊んでいるのか分からないようなもたもたしたペースである。気が付いたら本棚近辺だけしか片付いていないなんてこともある。
 けれども、今度ばかりはいつになく潔癖な性格に変貌していた。数日前に、ちょっとした事情で、友人をとんでもなく散らかった状態の部屋に招待するはめになってしまったのだ。その後味の悪さときたらとても形容しがたいものがあった。「後悔先に立たず」である。人生、何が起こるか分からない。予告なしによその人のお宅を訪ねる、といった内容のテレビ番組もあるけれど、そうでなくとも、いつなんどき誰がやって来るか分からない。


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 そんなわけで、とにかくやたら熱心に取り組んだのであった。
 こうして生まれ変わった部屋は砂の城のようなもの。せいぜいもって一週間。下手をすると次の日には、もうすでに原型をとどめていないという状況に陥ってしまうのが常である。「あんなにきれいだったのに、なぜ?どうしてこうなっちゃうの?」と自分でも不思議でたまらない。使った物をついつい手近な棚の上などに置き元あった場所に戻さないとか、直接的な原因として思い浮かぶことはいくつかある。けれど一番大きな要因は、やはり一見お気楽な一人暮らしにあると思う。


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 不精なのは昔からで「筋金入り」といったところだが、高校生の頃までは、つまり一人暮らしを始めるまでは、帰ってくるのが嫌になるほど汚い部屋に住んだことはなかった。それどころか、全く清潔で整頓された環境に過ごしていた。ひとえにきれい好きの母のおかげである。
 両親は共働きだったので、妹と私はいつも友だちと存分に遊んだ後、テレビを見たり、話をしたりしながら母の帰りを待っていた。団地の三階に住んでいたので、階段を昇ってくるくる足音で母かどうかを判断する。ちょっと疲れて引きずるような感じで、ゆっくりゆっくり昇ってくる音。妹が走って鍵を開けに行くと、しばらくして「ただいま」という母の声が聞こえる。その瞬間、家の空気ががらっと変わる。ぱあっと明るくなるのだ。
 不思議なことだが、当時、妹と私は本当にそう感じたのである。母が帰ってくるまでと帰ってきた後とでは、モノクロ画面がハイビジョンになる位の差があった。母が入ってきただけで、急に活気に満ちた全く違う部屋になってしまうのである。散らかし放題だった部屋は、みるみるうちに片付いて魔法のようだった。職場でさんざん働いてくたくたに疲れていたはずなのに、どうして母は、あんなに楽しそうに家の仕事までこなすことができたのだろう。


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 その日、母から電話があった。妹も帰省できなくなったとのこと。とはいえ、いとこたちが来たりして、それなりに忙しそうだ。相変わらず声は元気なので安心したが、少しつまらなさそうな淋しそうな感じに聞こえた。
 「帰ってきたいと思うようなきれいな部屋」を目標にした掃除だったのに、かえって実家が恋しく思われて、一人でいるのが辛くなってしまう結果になってしまった。
 一人暮しの淋しさは、整頓への意欲に対する最強の敵かもしれない。一緒にくつろいだり、笑ったりする人間がいると思えば、居心地のよさを保つ努力は楽しみにもなるだろう。
 自分のだらしなさは、こうやってとりあえず全部棚に上げておくことにしている。


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