自著を語る
『憲法理論,,。』
文・ 阪本 昌成
レッテルで仕訳する学界の風潮
ある出版社は、シカゴ学派の巨匠、M・フリードマンの著作『資本主義と自由』の翻訳出版を拒否した、という。そういえば、オーストリア学派の巨人、F・ハイエクの訳本出版も特定の出版社に限られている。このことに象徴されているように、わが国の知的状況は、特定のバイアスを示している。そうそう、日本の言論界がハイエクの死を大きく取り上げなかったことも、私には忘れられない。
わが国の社会科学者の多くは、ミーゼス、ハイエク、フリードマンと聞いただけで、強い拒絶反応を示してきた。わが国の進歩的言論界は、英米ではきわめて評価の高い著作を読む勇気をもたず、聞きかじりの知識をもって彼らを排斥してきた。そのくせ、新規で極端なリバターリアンであるハーヴァードの哲学者R・ノージックとなると、その理論が日本に許容されることのない安心感からか、わが国の論者も興味津々に扱うのである。
私の年代で大学に入ると、教場にはマルクス主義の妖怪が彷徨していた。こうした影響を受けた私たちは、経済自由市場が非道徳的であること、人間疎外の元凶であること、不平等拡大の場であること等を信じ込んできた。私がまだ若いとき、当時の西ドイツでは所得の再分配による社会平等の達成が焦眉の急と説かれていることを聞きかじって、講義中、わが国における所得再分配の要を熱く語ったこともあった。
私にとっての研究態度の転回は四十歳にあった。それまでは、古典的な著作を読みもしないで知ったかぶりして講義していたのだが、ある連載ものを執筆する機会にこの態度を改め、古典思想に直接にあたってみることを決意した。
これによって得たものは、はるか昔の先人たちは今の学問水準をはるかに抜け出ている、という感覚だった。それと同時に、ある思想を概説書風に一言で評価し紹介することの危険を感じた。
保守か革新か、マルクス主義者か非マルクス主義者か、といったレッテル貼りによって学問成果を仕訳してきたわが国学界の風潮に危惧を抱いたのも、この体験を通してのことだった。
「通説」という名のお化け
法学の世界には、「通説」と称せられるお化けが存在している。有名大学の教授による教説がそれである。その実態について問われれば「いわばギルドの世界だ」と世間の人に説明するとわかりやすいだろう。ギルドだから徒弟制がある。弟子は恩師の学説に楯突けない。こうなると、多くの弟子をもった人物の教説が「通説」となるのは必定である。
私は、氏素性がよろしくないばかりか、この畑のサラブレッドではない、というひがみ根性もあって、徒弟制の臭いのする法学界と「通説」が若い頃からきらいだった。「国民主権主権・平和主義・人権尊重」の三点セットを説く憲法学に胡散臭さを嗅ぎ取ってきた。正義感に満ちあふれた合理的な理論はどうも偽善的にすぎる。なにしろ、私は「民主的」という言葉を聞いただけで、身の毛がよだつタイプなのだ。
「合理的ではない思想にこそ、最も合理的な視点が隠されているかもしれない」と気付き始めたのが、四十歳のときである。それ以来、私は奇怪で危険な本を読んできた。魔性の憲法学者=C・シュミット、哲学を否定する哲学者=L・ウィトゲンシュタイン、現代のA・スミス=M・フリードマン、マルクス主義の墓堀人=F・ハイエク、悪徳商人の擁護論者=マンデビル等々。
私の憲法体系、『憲法理論,,。』(いずれも成文堂から)は、《国家は、国家にしかできないことをなすべきである》という「夜警国家論」の復活版だから、学界ではすこぶる評判が悪い。「異端」、「危険」、「難解」という評はまだしも、「社会的弱者の立場に鈍感な著作である」と酷評するむきもある。
「統治の過剰」から「小さな政府」へ
今後は、「小さな政府」がさらに要請されよう。これまでの憲法理論においては、「生存権保障の充実を」、「社会連帯を強化しよう」、「競争よりも協調だ」、「社会的弱者救済のための理論を」と正義感に満ちあふれる論調が席巻してきた。その結末が今日の「統治の過剰」だ。
これに対して拙著は、「自由とは、競争すること、そのおとしまえを自分でつけることだ」、「他人の金で自分の利益の追求を許すことこそ、社会的正義に反する」などと、社会保障拡充に真っ向から反対している。評判悪いのも当然だ。しかし、今必要なことは、国家の役割を最小化する理論である。私は、そのことを真剣に考えて拙著を書いたつもりである。
憲法理論
(A5判五一六頁)三九〇〇円
一九九七年 成文堂
憲法理論
(A5判三六一頁)三五〇〇円
一九九三年 成文堂
憲法理論。
(A5判四〇七頁)三五〇〇円
一九九五年 成文堂
プロフィール
(さかもと・まさなり)
◇法学部教授(憲法学)
◇昭和20年 広島市生まれ
◇昭和43年広島大学政経学部卒業
◇現在法学部夜間学部主事、日本公法学会理事、関西アメリカ公法学会会長、広島大学生協理事長。遊ぶことに関しては天才を自認する。
広大フォーラム29期4号 目次に戻る