2000字の世界

ベルリンの吸引力

文・写真 村上 久恵(Murakami, Hisae)
総合科学部外国語コース教務員



 べルリンという街は、私にとって不思議な吸引力のある街である。人それぞれ好きな街や個人的に思い入れのある街があると思うが、それにあたるのが私の場合ベルリンになる。なぜ惹かれるのか、と問われるとすぐに説明するのは難しいが、端的に言うならそれは、ニューヨークやパリ、ロンドンといった成熟した都市文化を育む大都市とは異なる魅力があるから、ということになる。
 初めてベルリンに行ったのは今から五年前、大学三年の夏のことである。フランクフルトで三週間語学研修を受けた後、同じ時期ロンドンとウィーンで語学研修を受けていた友人とベルリンで落ち合うことになっていた。その時すでに壁は崩壊しており、ドイツ統一からも二年が経過していた。
 ベルリンに行くことを決めたのは、特に何か強い動機があった訳ではない。実際のところ、南に下ってノイシュバンシュタイン城を見てくるか、ベルリンに行くか迷っていたのだが、壁崩壊時の映像や「歴史的転換の街・ベルリン」という新聞の見出しのようなものが妙に頭に残っていて、とりあえず「新生ドイツ」の首都を見ておこうという気にさせられた。
 したがってベルリンについての知識もほとんどなく、ベルリンで知っている建造物といえばその時はすでになくなっていたベルリンの壁と、『ベルリン天使の歌』のジーゲス・ゾイレ(戦勝記念塔)、そして『舞姫』に出てくる「ウンター・デン・リンデン」という幾分詩情を感じるメインストリートの名前ぐらいであった。

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 フランクフルトからハノーバーで乗り換え、約六時間かけてベルリン(旧西ベルリン)に到着した私の目に最初に飛び込んで来たのが、カイザー・ヴィルヘルム記念教会の真っ黒な廃墟だった。それは第二次世界大戦の痕跡で、広島の原爆ドーム同様、戦争の悲惨さを現在に語り継ぐために残されたものである。それが旧西ベルリンの玄関口ツォー駅の真ん前にあり、その両隣の現代的な造りの教会や、ツォー駅周辺の賑やかさと好対照で異彩を放っていた。
 ニューヨークや東京のような高層ビルもなく、駅周辺を少し離れるとすぐ人影はまばらになり、石畳を転がるスーツケースの音が恥ずかしくなるくらい静かになった。「首都らしくないな」。これが私のベルリンの第一印象だった。
 ベルリンで一番有名な建造物であった壁はすっかりなくなっており、街の中に不自然に荒涼と広がる空き地に壁の跡を辿ることができた。壁そのものは、ところどころ色のついた小さなコンクリートの塊となって、ベルリン名物のお土産としてあちこちで売られていた。そんな光景を目にしていると、壁の跡がちょっと前までは国境で、厳重な警備によって守られていたこと、壁を境に東西のイデオロギーが対峙し緊張していたということが、俄に信じ難いような気がしてきた。だいたい一つの街を壁でぐるりと取り囲んでしまうなんて、今どきそんなナンセンスなことってあり?、とまでも思った。しかし、壁を越えようとして散った若い命の墓標が、そのナンセンスがまぎれもない現実であったことを、静かに語っていた。


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 このベルリンに行ったことをきっかけとして、ベルリンという街についてもっと知りたいと思うようになった。壁の外に暮らす人にとって西側社会との断絶を表わし、行動の自由を奪うものであった壁は、壁の中に暮らす人間にとってはどうだったのだろうか。
 また、壁は崩壊したけれども、ドイツ人の「頭の中の壁」を崩すのが難しいのはどうしてなのだろうか。そんなことを文学作品やノンフィクション、新聞・雑誌を通して読んでいった。
 しかし読んでいくうちに、ドイツ固有のものと思われていたそれらの問題が、ドイツ問題という枠を超えるものであるということが分かってきた。ドイツ人の頭の中の壁を扱った小説を読みながら意識されたのは、主人公と同じ西側社会に生まれ育った私の持つ偏見であったし、国家の分断による悲劇は、現在、隣国朝鮮半島ではまだ続いている。
 冷戦の象徴であるベルリンの壁の崩壊は、イデオロギーが対立する歴史の終焉を象徴する出来事でもあり、座標軸のない混沌とした時代の始まりを象徴する出来事でもある。
 東西冷戦の前哨基地として特異な都市形成をし、統一後新たな都市づくりを目指すベルリンは、その意味で歴史の実験場のような街であるように思える。都市としてこれから成熟していくために生々流転を繰り返しているベルリンを見ていると、同じ時代を生きていく私たちの次の手がかりのようなものが見つけられるのではないか、という気がしてならない。

ベルリンの街並
 

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