特集

 実験記事「霞キャンパス七不思議」 
〜学生の目から見た「霞」模様・その矛盾と問題点〜医学部編

 東広島キャンパスとほとんど分断状態にある霞キャンパス。ややもすると「ここは広島医科歯科大学か?」と思ってしまうような孤立状態の中でも,霞の学生は広大マインドを継承すべく日夜頑張っています。
 そこで,その努力の成果の結晶を,医学部歯学部学生広報紙刊行会「霞プレス」(宗教や政治とはまったく関係ないよ)が総力を挙げて,学生の目から見た素朴な疑問や矛盾点をテーマに「霞キャンパス七不思議」と題してプロデュースします。
(霞プレス編集長・木下健)


?不思議その1?
東広島キャンパスから心まで離れた霞キャンパス事情

 一四二人に聞いた。東広島キャンパスを自分の大学として身近に感じますか?
 答えは、YES=十三人、NO=一二九人。ほんの二、三年前には東広島キャンパスに通っていた医学科三年生八十人と、四年生六十二人に聞いたところ、このような結果が得られた。
 立地だけでなく、心までもが本部から離れ、総合大学の視点が欠けはしないか?と思わせるような結果に、「当然だろう」とか「西条への移転そのものが間違っている」とは、筆者の周囲の声。「うちの学部が西条に行かなくて良かった」という声も聞かれた。
 医学部や歯学部の学生は、自分たちの学部内だけのメンバーで構成されたクラブ活動に勤しみ、試合や大会となると、医学部生(それも医学科)だけとか歯学部生だけの集まるものに参加するなど、その閉鎖性は学生時代から営々と培われているのかもしれない。
(医学部・山本英喜)



?不思議その2?
二年近くも理念のなかった教育改革は何を目指そうとしたのか

 医学部では平成六年度入学生から新カリキュラムが導入された。戦後間もなく行われた学制改革や大学紛争後の改革に続く大改革と言われている。そのため、教官、学生双方にかなりのエネルギーが必要とされたし、改革の結果、少なからずの混乱も続いてきた。
 この改革にあたっては特に、教務委員会(委員長=井内康輝教授)を中心とする教官の努力は大変なものだったと聞いている。毎年、各講座の教官が参加しての合宿形式のワークショップを開催するなど、意識改革のみならず効果的な講義方法法など、具体的で技術的な内容まで検討されてきたようだ。
 しかし改革の方向性を決める理念や目標については、新カリキュラム導入から実に約二年遅れの平成八年二月に、ようやく教授会承認を受けた。改革を行うにあたって、その青写真となる理念や目標がないままに、医学部は何を改革しようとしたのだろうか?
 そこで、この素朴な疑問を、平成六年四月から教務委員長を務める井内康輝教授にぶつけてみた。「医学部としては平成二年に『教育改革についての理念・目標』を決めていたが、それでは不十分なので、議論を重ねて作り直したために時間がかかった。平成八年二月になったのは、平成九年度の入学生に合わせるためだった」そうだ。それならば、平成六年度から八年度入学生までの三学年については、平成九年度からの新・新カ リキュラム実現のための実験学年だったのだろうか?
 内容についても聞いてみた。「前の理念・目標が下敷きになったのか?」との取材者の問いに、「いや、前のものを下敷きにしたというのではなく、平成六年から行ってきた(改革の)内容に矛盾しない内容で一つひとつ決めた」のだそうだ。それでは、理念・目標は改革を行ってきた上での結果論としての作文なのだろうか?
 この奇妙な出来事は、教務委員会の迷走というよりは、むしろ改革なるものを行うには、一部の意識ある教官が「独走」しなければなかなか実現しない、という医学部の体質にも大きな原因があるように思う。
(医学部・山本英喜)

新・旧カリキュラム同時並行が生んだ2学年合同の「マスプロ教育」。仕方ないとは言うけれど…。10月23日、医学部第5講義室で



?不思議その3?
霞再開発はどうなったのか

 一九八八年発表の霞再開発計画によると、三年以内に地下二階地上十五階建の附属病院をはじめ、二五メートルプール、さらには三期工事として地上五階建の学生・職員用駐車場などが予定されていた。動物実験施設や放射線実験棟など完成したものもあるが、未完成な部分が多い。医学部長吉永文隆教授に聞いてみた。すると答えは「東広島統合移転に予算をとられてしまったため」とのこと。なんだ、そんなことか。
(医学部・木下健)



?不思議その4?
医学科教授には医学科卒業生がなぜ多いのか

 医学科教授にはどうして医学科卒業生が多いのか。基礎系にはもっと医学科卒業生以外の教授がいてもよさそうだが。現在このような例として広島大医学部医学科では二名いる。この状況を踏まえて吉永教授に聞いてみた。
 「まず、教授希望者に医学科卒業生が相対的に多いということ。また医学生を育てるという面では、教授側に医学的マインドが必要である。しかし、最先端の研究をするにあたっては、生物系の教授が適任の場合もあろう。このようなことを考慮すると、現在の二名という数が妥当なところだろう」とのことであった。本当にこれが妥当なのだろうか。筆者自身の考えではもう少し多くてもよさそうなものだが、と考えている。
 医学界は閉鎖的であるとよく言われているが、医師免許を持っていない教授を何人か医学部内に招くことでそれを打破できる可能性があるかもしれない。また吉永教授は「医学的マインド」という言葉を使われたが、医師の間でなれ合いになっていることも医師以外の教授の方なら鋭く批判できるかもしれない。
 以上のことから、医学部を少し引き締めるためにも、この問題について真剣に考えても良いのではないだろうか。
(医学部・加藤貴弘)



?不思議その5?
医学部におけるクラブ活動のあり方について

 現在、医学部においてクラブ活動を行っている学生は、約半数以上いると思われます。私が今現在、矛盾を感じているのは、そのクラブ活動のあり方についてです。
 私自身スポーツには賛成で、勉強だけでなくスポーツも頑張ることで豊かな人間性が養われ、良き医者、良き人間になれると思います。
 しかし、私が今回言いたいのは、そのクラブ活動により学務の決めた授業日程が公然と変更され、試験日程さえも、先生方の都合ではなくクラブの試合、練習の都合により決められるということです。先生により決められた試験日程に対し、学生が当然のように変更を求め、ある先生方は仕方ないといった形で変更を決めます。つまり、一学年のうちの約四、五名の意見により試験日程が変わる、といったことが試験のたびにおこる といった状況です。それに対し、残り九十名ほどが従うということです。そういった都合を各クラブが言っていくのですから、試験日程がどんどん詰まっていくわけです。これに対し、クラブに所属してない人は否応なく従わされることになります。
 ここで私が言いたいのは、別に試験の日程を広げろということではなく、試験日程の変更を求める学生の態度についてです。自分のクラブのことが試験より大切であり、それを他の人のことも考えずに当然のことのように主張するところに問題があるということです。
 クラブを学校側が認めるのは、学生に健全な肉体と健全な精神、そして将来医師として必要とされる社会性を養ってほしいからであり、先生方が学生の言い分を聞くのもそういったことを考えてのことだと思います。クラブにおいて社会性が身に付いているのならば、こういったこともおこることはないと思います。
 私が思うに原因は、学校側の好意に対する学生の甘えにあると思います。しかし、これだけ学校側の好意がある以上、甘えがでる方だけを悪いとすることはできないと思います。やはり先生方のきちんとした対処が必要なのではないでしょうか。
 そして、私が一番言いたいのは、クラブに社会性の養成を求めるのは、医学部においてはある意味間違っているのではないかということです。社会性というのは、多種多様な人間と知り合い多種多様な人間と共に協調性をもちながらも自分らしさを失わず生きていけることであり、『霞』という閉鎖的環境で、学生とだけ遊びうまくやっていくことでは、本当の社会性は身につくものではないと思います。そして、今社会で問題になっている医療の閉鎖性、たび重なる医師の不祥事の根底にあるのは、医師の社会性のなさにあるのではないでしょうか。
 そして、受験戦争の厳しい現在、医師の社会性を養う最後のチャンスは大学時代にあるのではないでしょうか。そういったことを今一度、考え直す時期が来ているように思うのです。
(医学部・匿名希望)



?不思議その6?
この木なんの木、気になる木

 この一見貧相に見える木は何?と思って良く見ると、「森戸辰男先生記念樹 昭和三十八年三月三十一日」とある。森戸辰男先生と言えば、そう、東千田の旧本部のメインストリートにその名を残した、広大が誇る初代学長(昭和二十五年〜三十八年)だ。それにしても、この貧相な木が森戸先生の記念樹だなんて信じられない!
 そこで、まず事務で聞いてみた。「あの木は何ですか」、「ヒマラヤスギですよ」、「いやいや、別に木の種類の名前を聞いているわけでは…」。しかし、それ以上はどなたもご存じない様子。そうこうして諦めかけていた時、とある筋がこっそりと面白すぎる話をしてくれた(実はオフレコの条件で)。「あの木と森戸先生は関係ないんです。『森戸先生記念樹』の石碑が転がっていたのを見て、辺りにそれらしい木を捜したところ、あの木があったので、あそこにおいているだけなんです」。
 なんていうことだ。あの木の回りは、駐輪場にするために、二年ほど前にアスファルトも敷かれてしまって、あのヒマラヤスギがすっかり「森戸先生記念樹」になっているではないか。本当の記念樹はどこにあるんだ。あの木が面する、車一台がせいぜい通れるくらいの車道を、「森戸道路」ならぬ「森戸通り」と勘違いしている輩もいるというのに。ということで、その当時のことをご存じの方、ぜひ教えて下さい。
(医学部・山本英喜)

駐輪場の隅に申し訳なさそうに佇む「森戸辰男先生記念樹」:一説では、一番手前の車道が「森戸通り」らしい。(歯学部4階より望む、10月16日撮影)

アスファルトに包囲されながらも、「森戸辰男先生記念樹」に昇格したヒマラヤスギの根っこ付近。(10月16日撮影)



?不思議その7?
医学部倫理委員会はなぜ非公開、非公表なのか

 昨今、医学や医療のさまざまな問題を巡り、社会全体で大きく議論されることが多い。医療・医学が患者さんのためにあることを考えれば、当然とも言えるだろう。とくに、臓器移植の問題や出生前診断、遺伝子治療など、医療・医学が進歩、高度化するにつれて、これまでにない複雑な問題が生じてきている。これらのいずれをとってみても、医療現場だけで解決するにはあまりに多くの要素を含み過ぎている。そのため、本学医学部学医学部でも、昭和五十九年から学内に倫理委員会が設置され、学外の学識経験者も交えての活発な議論がされてきたようだ。
 しかし倫理委員会とは言っても、いつ、どこで、誰が、何を議論しているのかが全く見えてこない。医療現場だけでは処理しきれない複雑な問題を、社会的に認められるような形で、あるいは、社会的コンセンサスが得られるよう実践していくための議論がされているのであろうが、学生から見ると雲の上の存在だ。
 そこで、倫理委員会が非公開、議事録の原則非公表で運営されている理由について、委員長を務める吉永医学部長に聞いてみた。「議事については教授会に報告している。倫理委員会を実際に公開するとなると、患者のプライバシーにかかわる問題があるし、議事の公表となると、議事録を相当つつかなくてはならなくなるだろう」。
 なるほど。「ならば、非公開の倫理委員会で審議されたはずの、臓器移植の際の独自の判定手順の内容が、二年前マスコミ報道されたことがあったが、これについてはどうなのか」との質問に、「教授会に報告しているからそこから漏れたのだろう」と吉永教授。つまり、リーク情報だったらしい。
 そこで提案。臓器移植の問題のような広く社会での議論が必要な問題は、リーク情報としてではなく、「倫理委員会では今、こんなことを議論しています」と、堂々と社会に公言しても良いのではなかろうか。「非公開・非公表」にとらわれず、社会に問うべきは広く問い、さまざまな意見を聞いても良いように思う。もちろん、その際はプライバシーが保護されるという前提で。そうすれば、とかく「閉鎖的」と言われる医学界の イメージアップにもつながって一石二鳥、というのは甘すぎる考えか。
(医学部・山本英喜)




広大フォーラム29期5号 目次に戻る