学長インタビューNo.24

霞再開発についての私の「将来に対する夢」

日時:平成9年11月19日(水)午後2時
場所:学長室


  小春日和の午後,渡辺委員と吉田委員とが学長を訪ね,前号のフォーラムで学長が触れられた霞再開発についての「将来の夢」を伺った。


広報委員=霞地区の人間にとっては、前号でも触れられましたが「霞再開発」は大変関心があります。今までの経過と今後の展望についてお話し下さい。
学長=私が学部長の時に、まず霞再開発が始まったと思う。昭和三十六年に作られた日本で最も古いライシャワー病棟と呼ばれる西病棟の改築を考えたが、病院の再開発だけでなく、霞地区全体の再開発を考えるようにという文部省の助言から始まっている。その歴史的経緯は、私が病院長だった折、昭和六十三年発行の医学部同窓会誌『広仁会会報』に書いている。
 霞地区を東広島の方へ移転すれば問題は一挙に解決するが、市民感情としても移転に反対のため広島市内に医学部がなければいけない。そこで今の場所で再開発を行う必要がある。霞地区の敷地面積は約一五万平方メートルで、将来のことを考えると狭すぎる。警察学校の跡地の半分に段原中学校が入る予定で、可能なら残りの三万平方メートルを大学の敷地として利用できればと考えている。
 以前の基本的な考え方は、霞地区の南半分に建物を作り残りの半分は空地とし、そこにグランド等を整備すれば数十年後に再度、建て替える時にその部分に新しい建物を一挙に作ることができると考えていた。一度に工事が行えると経済的にも少ない金額ですむが、現在動物施設や保健学科が完成したこと、並びに建物の耐用年数から見て以前の案は実行できない。
 新しい案として、まず一番古い西病棟の建て替えから始める予定で、私の十四、五年来の「夢」なので、私が在任期間中である平成十二年頃までに鍬入れ式を行いたい。建物としては高層ビルで十階ぐらいのものを考えている。その際近代的な医療センター機能を持った、使い勝手の良い病院を作りたい。例えば、今までの六人部屋から四人部屋として病室のスペースを広くすること、さらに有料の個室を多く作りたい。来年度には光学療法診療部ができるため、このことも考えたい。
 もう一つの問題として赤レンガの建物をどのようにするかだが、一部は保存するという考え方で再開発を進めて行きたい。その後、原医研をはじめ他の部局の建物をどうするか考えていきたい。その際学部のエゴにとらわれず医学科、総合薬学科、保健学科、歯学部並びに原医研の共同利用、相互乗り入れ、譲り合いの精神で建物を建ててほしい。多分全てが完了するまでには約二十年かかると考えている。
広報委員=今、学生は講義が終わった後、たまり場がなく生協の近くにたむろしていますが、霞再開発の際の学生のゆとりの場所をどのようにお考えですか。
学長=今、学部施設の基準面積が約二〇%広げられている。現に保健学科はすでに各階の端に学生のたまり場が用意されている。また、新設する場合には、学部の講義棟と研究棟を一体化することで教育や研究がスムースに行われるようになると考えている。
広報委員=霞地区の駐車場は狭く、患者さんを含めて駐車場に入れず長い列となっていることが多いのですが、駐車場についてお考えをお聞かせ下さい。
学長=現在、財団の緑風会が管理している。多分立体駐車場を造ることになるだろう。費用の問題で地下駐車場は不可能であろう。
広報委員=霞地区の図書館(医学分館)は、保健学科の設置により学生数が増えたことと、蔵書数の増加で極度に狭隘になっているのですが…。
学長=増築を考えているが、今すぐには難しい。近い将来可能と考えている。一方図書館も電子図書館化を図る必要がある。
広報委員=病院のある地区ですので、木が植えられた散歩道とかあちこちにベンチが置いてあるような、患者さんの憩いの場所を作っていただきたいのですが…。
学長=木を植えたりすることは一番簡単で、池のまわりにベンチを置いたりすることはすぐにでも可能である。
広報委員=最後に一言お願いします。
学長=私は「将来に対する夢」をいろいろと語ってきた。その夢が一つひとつ実現していることは大変喜こばしいことである。これも取り入れられるであろう。
広報委員=長時間ありがとうございました。学長はハード面とともにソフト面についてもお考えになっていることと、学長の記憶の良さに舌を巻きました。

渡辺委員(右)と吉田委員

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