自由席
 七福神のこと
文・久保 鉄男(Kubo, Tetsuo)
総務部総務課長

 私が、山口に住んでいた頃の話である。
 職場の同僚と酒を飲む機会がよくあったが、その折に必ず話題になるのが総理大臣の数のことであった。確かに、明治政府以来、山口は七人もの総理大臣を輩出した県であることぐらいは知っていたが、あまり自慢気に言われると意地悪をしたくなるのが私のいけないところで、「じゃ、その七人全部の名前をいってみろ」と問いたくなる。
 私の体験によれば、十人のうち一人位しか、七人全部の名前をパーフェクトに答えられない。答えた者の満足そうな顔を見ると、さらに意地悪をしたくなって、「じや、『七福神』はどうかな。言えたら今夜の飲み代を持つよ…」嬉しいことにと言おうか、残念なことにと言おうか、七福神全ての名前を言えた者にこれまでお目にかかったことがない。今思えば、実にくだらないことだが…。果たして皆さんはいかがですか。

 「七福神」と言っても、カレーライスの隅にある、あの毒々しい真っ赤な色をした「福神漬け」とは関係がない。また、不幸な貧乏神や疫病神でもない。「福を持ち寄せ来たる七人の神」のことである。
 私が子供の頃には、どこの家にも、幸福を招く七人の神様が宝船に乗って海の彼方からやってくる、実に楽しそうな構図の絵や掛け軸があったものだが、今はほとんど見かけない。それでもここ数年来、正月や縁日には七福神を祭る神社やお寺を巡ることを楽しんでいる人々も増え、特に東京では団体バスの企画までなされ、盛祝であるようだ。これもこの世知辛い世の中に生まれて、少しでも幸せな生活を念じたいからのことであろう。
 そもそも今日の「七福神」は、室町中期頃から盛んになった「福の神信仰」に、「日本の神道」、「インドの仏教」、「中国の道教」の三つの教えがうまく融合されることによって江戸中期に生まれた。室町時代以来今日まで、大衆文化の中に自然かつ好意的に取り入れられた信仰であると言えよう。
 それでは、なぜ、福の神を七つだけにしたのかだが、一説によると、仏教典に「七難即生」又は「七難七福」という思想があり、この「七」という聖数(今で言うラッキーセブン?)から来ているらしい。真偽のほどは定かではないが、招福の縁起物 である「福助」も加えるべきだとの論争もあったやに聞く。いずれにしても、神様好きの日本人の性格を垣間見ることができよう。

 神道(日本)の「大黒天」と「恵比寿」、仏教(インド)の「毘沙門天」と「弁財天」、道教(中国)の「布袋」、「寿老人」それに「福禄寿」の七人の多国籍の?神様によって構成されるが、「寿老人」と「福禄寿」は同体異名の神様なので、実際は六福神ということになる。
 この中で、「大黒天」と「恵比寿」は、「古事記」や「日本書紀」に記述されている話をもとに造られたものである。日本古来の神様であるが、この二つの神様は、開運招福や五穀豊穣を人々に授けるといわれることから、それぞれ大黒様、恵比寿様と呼ばれ、特に商家や農家に親しまれている。商売繁盛の神である恵比寿様は、今でも「夷講」として祭の習わしが各地に残っている。また、親子であることからか、いつも対になって語られ、双幅となって描かれている例が多い。大黒様が、災難消滅を授けることもあって、ちょっと古い民家に行くと、竃を見おろす場所に祭られており、真っ黒にくすぶった二つの土人形を見ることができる。

 最後に、「七福神」それぞれの神々を簡単に紹介しよう。この正月は、幸せを招くためにも、近隣の「七福神詣で」はいかがですか。
「恵比寿(えびす)」(清廉潔白の神)
 烏帽子姿に大きな鯛、釣竿を持つ。無病息災、家業繁栄、子孫長寿。
「大黒天(だいこくてん)」(裕福の神)
 夷服に丸い帽子。米俵の上に座す。因幡の白兎の大国主命のこと。五穀豊穣、災難消滅。
「布袋(ほてい)」(円満の神)
 財宝の入った袋と杖を持つ。太っ腹。弥勒菩薩の化身。いつも笑顔で清濁を呑める。
「寿老人(じゅろうじん)」(長寿の神)
 長い杖と桃を持つ。傍らに玄鹿。天下太平。福徳長寿。
「福禄寿(ふくろくじゅ)」(人望の神)
 頭が長い。寿老人と同一の神様。福は至宝、禄は高位、寿は長命。
「弁天様(べんてんさま)」(知恵の神)
 頭に宝冠、琵琶を持つ。紅一点の神様。弁財天及び吉祥天ともいう。知恵と愛情。
「毘沙門天(びしゃもんてん)」(勇気の神)
 甲ちゅうと矛。威光を示す。勇気と財宝。
大黒天と恵比寿

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