2000字の世界

発 見

文・写真 上原 康代(Uehara, Yasuyo)
大学院国際協力研究科博士課程前期



 私が山口大学農学部から大学院国際協力研究科へ入学して、はや二年が経とうとしています。
 国際協力研究科は、さまざまな研究分野を専攻する学生によって構成され、留学生がその約三五%をも占めています。そのため、外国の文化との違いを身をもって感じさせられることが多く、この二年の間に貴重な経験をさせていただき、これから物事を考えていく上での視野がいくぶんか広がったような気がしています。
 ここで少しばかり私が感じたことを述べてみたいと思います。


*    *    *


 入学したての頃、同じ研究室の留学生と宗教の話をしていたときに、意見の違いから喧嘩になったことがありました。普段宗教というものには深く関わっていなかったため、軽はずみなことを言ってしまい、彼を怒らせてしまったのです。彼らの生活は宗教での教えが基本であり、信仰と生活が紙一重なのです。このことが私にとってまず最初の異文化ショックでした。
 次に、広島に住んでいるからには原爆の悲惨さ、戦争の無意味さを理解してもらいたいと思い、研究室の留学生たちを誘って原爆資料館へ案内しました。見学後、感想を求めたところ「でも、日本も今、核兵器を隠していますから…」。私はがっくりうなだれてしまいました。
 またあるときは、新聞を読んでいるときにちょうど中国での核実験の記事が載っていたので、中国人留学生に中国の核実験についてどう思うか聞いたところ「自国の防衛のためには、核は必要です…」と言われてしまいました。
 私は、この二つの言葉に真剣に悩んでしまいました。「どうしてわかってくれないんやろう…」。
 去年の三月、私の研究分野である東南アジアの畜産の現状をみるためにタイに行って来ました。私にとっては初めての海外で、テレビや雑誌で見ていたタイの景色を間近に感じて、ゆったりと時間が流れているなあ、という感覚を覚えました。また、熱帯地方の家畜はこぶを持っていて特徴的でしたし、寺院も日本では目にすることはできないような独特の形をしていました。世界大戦の傷跡もはっきりとこの目に焼き付けてきました。
 そして、タイのカセサート大学では、タイ式卒業コンパなるものに参加させていただいたのですが、タイの大学生はお酒を飲む席でも男子学生と女子学生が別々に分かれて座り、男子と女子がほとんど話をしていないのです。疑問に思って女子学生にたずねると、「これがタイでは普通です」という答えが返ってきました。
 私はこの言葉を聞いたとき、目の前がぱっと明るくなったような気がしました。今まで考え方の違う留学生に納得いかないと思っていた自分の方がまちがっていたのです。これが私の“発見”でした。
 外国は、日本とはもちろん気候も違うし、宗教や文化だって当然のことのように異なっています。文化が違えばものの見方や考え方が違うのは当然なのです。頭でわかっているつもりでも何一つわかっていなかったのです。
 最近、ますます国際理解などという言葉が使われていますが、実際に外国の方々と接すると、そこには超えられない壁があると感じています。もちろんうわべだけのつきあいだったらいくらでもできますが、私は日本で何年間も育ってきているのですから、無理に理解しようとしても私にはそれは難しいことだと思います。そういうことよりもむしろ、宗教や文化の違いがあるから考え方も異なっているのだ、という事実を知ることだけでも、私にとっては大きな収穫だったのではないかと思いました。


*    *    *


 国際協力研究科の建物が三月には完成し、これからますます国際交流が行われることでしょう。日本にうまくとけ込んでいて温泉が好きな留学生もいれば、なかなか日本語が覚えられない留学生もいます。きっと、留学生たちも私と同じように“外国”の文化にじかに触れながら、新しい発見や失敗を繰り返して毎日を過ごしているのだと思います。
 こんなに外国の人が身近にいる貴重な生活も一生のうちでなかなかないことなので、国際協力研究科で学んだ多くのことをこれからの新たな生活に積極的に生かしていきたいと思います。
 留学生のみなさんもがんばってください。

サリー(スーダン)さんと共に
 

広大フォーラム29期6号 目次に戻る