広島原爆の残留放射線を追い続けて  
文・ 葉佐井 博巳(Hasai, Hiromi)
広島大学名誉教授

 
 広島に生まれ広島で育った私にとって、中国文化賞は特別意義深く名誉ある賞であると感じています。いざ拝受してみると、今、複雑な気持ちです。なぜなら、この賞は私一人のものではなく、一緒に広島原爆の残留放射線を追い続けた我々グループみんなに与えられた賞に他なりません。
 私を中心に集まり一緒に仕事をしてきた仲間に感謝して、一連の仕事を披露します。


 原爆放射線測定の意義 
 今回の受賞の理由は、「原爆放射線の実測データの収集」を行った業績が顕著であると言うことです。
 原子炉や医療関係に従事する人に対する放射線の影響は、線量と被曝者の受けた障害の関係から決まります。不幸にして人類最初の大量被曝を受けた原爆被爆者の犠牲を無駄にしないためにも、調査研究が行われています。我々も自らの手で正確な線量の推定を行うため作業を続けています。


 原爆投下後の線量測定 
 広島に投下された爆弾が原子爆弾であったことを科学的に証明したのは、最初に広島の土を理研に持ち帰り放射線を測定した、仁科博士のグループです。これが最初の実測データで、続いて、理研、阪大、京大グループ等が広島にやってきて測定を行いました。
 その後、一九六五年に被爆者の受けた放射線量として、T65D暫定線量が決められました。
 この暫定線量は、十年かけてアメリカのネバダ核実験場で行った測定から推測されたものです。以来十五年間にわたり、暫定とは言えこの線量を使って放射線影響が調べられてきましたが、一九八一年からスーパーコンピュータを使った計算による原爆線量の再評価がアメリカで始まり、一九八六年には新線量システムDS86として改正されました。


 残留放射線測定を始めた動機 
 線量見直し作業が始まった頃、たまたまロスアラモス(広島原爆製造の地)にいた私は、自身が被爆者であり、また長年放射線測定に係わってきたことに因縁を感じておりました。
 原医研の星教授の誘いもあり、研究室の仲間と話し合った結果、「広島グループ」を作って中性子線量の推定のために測定を行うことにしました。幸い研究室に優れた性能の低バックガンマー線測定器があったことが、バックガンマー線測定器があったことが、広島のわずかな残留放射線の測定を可能にしました。


 どのような測定か 
 まず始めたのは、確実に被爆し、その時の位置が確定できる建造物を探し求めるために、広島市、寺院、ビルの所有者等に説明して、主として岩石やコンクリートの試料を収集することでした。
 今では極微量の放射線量しか含まれていないので、試料は研究室に持ち帰り化学処理して測定します。高性能の測定器とは言え、一データをとるのに連続測定で数日はかかります。その測定結果から、岩石中の線量の深度分布や距離による線量分布ができます。DS86の中性子データから推定した値と比較して線量評価を行います。
 その結果、まだ未解決なところがあり、日米間でさらに検討し二年後には結論を出すことになりました。また、原爆投下直後に集められ、理化学研究所に持ち帰られていた砂が数年前戻ってきたので、それを測定し、フォールアウトの問題も旧市内の範囲で解決しました。
 ここまでたどり着いたのも、仲間みんなの努力のお陰と心から感謝します。

 平成2年 原爆ドームからの試料採取

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