広大薬学の二十九年

 石橋 貞彦(いしばし さだひこ) 医学部薬効解析科学講座 

〈部局歴〉
  昭和38・1 (東京大学)
    44・11 医学部
   
 


 一九六七年七月にアメリカから古巣の東大薬学部に戻った頃から、キナ臭かった紛争が翌年になって医学部の問題から燃え上がり、落ち着いた研究環境とはとても言えない状態になりました。
 折しも六九年に広島大学医学部に薬学科を創設するとのお話に喜んで、関東育ちの身が生まれて初めて広島の地を踏みました。ところが、大学紛争は全国に広まり、結果として二度経験することになりました。
 しかし根がのんびりしていますし、転任直後二年ほどは助教授でしたので、あまり深刻な思い出は残っていません。
 初めはプレハブでの研究室生活でしたが、以来第一回生から薬学の学生諸君の相手をしているうちに二十九年ほどがいつの間にか経ってしまいました。早いものだという気持ちと、ちょっと疲れたなという気持ちが交錯しています。
 この間、薬の働く場として生体を理解するという旗印で代謝制御の仕事を楽しく進めてきました。まあまあの成果が得られたのでは、とおこがましくも思っています。これもひとえに自然流と称して気ままな私をご寛容(実は諦めて)くださった先輩諸 先生方、同僚諸兄姉、研究室におられた皆さんのおかげです。改めてお礼申し上げます。
 なお、折あるたびに書いていますが、全国に国公私立合わせて四十六ある薬学系大学の中で四十五は薬科大学あるいは薬学部として独立しており、本学のような形態は唯一のものです。
 医療をめぐる問題が増大するばかりで、医療への薬学の寄与が大論点になっている今日、広大のこれらの特徴をますます生かしていくと共に、薬学としてのアイデンティティーを確立していって下さることを後輩諸氏に期待し、本誌をお読みの皆様のご 支援をお願いします。


平成9年11月下旬の広仁会館における日本薬学会主催の脳高次機能障害シンポジウムのお世話を終えて,研究室の皆さんと。 (筆者前列右端)



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