豊潮丸

 石川 一男(いしかわ かずお) 生物生産学部附属練習船豊潮丸 

〈部局歴〉
  昭和28・4 (民間)
    54・4 生物生産学部
   
 


 私、石川一男は、平成十年三月三十一日をもちまして生物生産学部豊潮丸・司厨長を退職することになりました。
 思い起こせば昭和五十三年十二月、それまで勤務していました日本水産で、北洋漁場に向け出漁する準備並びに船の調整のため因島・日立造船所に入港している折、突然会社から電話があり「広島大学豊潮丸に欠員が生じたので勤務してみないか」との 話がありました。一瞬、頭の中が真っ白になり、次の言葉が出てきませんでした。日水で定年までと思っていたので、広島大学にお世話になろうとは夢にも思いませんでした。
 昭和五十四年四月から豊潮丸にお世話になることになり大変幸せでした。年齢のこと、航海日数のこと。日本水産は定年五十五歳、航海日数はドック工事も含め毎年十一か月ほどあり、家族と暮らせるのは一年のうちで一か月程度でした。私が航海を終 えて家に帰ると、長女が家内の後ろに隠れ、私を見て「どこのおじちゃん」というありさまでした。
 また豊潮丸に勤務することにより、私が人間的に欠陥者ということをつくづく思い知らされました。生物生産学部の各教室の先生方、学生諸氏、事務の方々に十九年間わがままな私を大事にして頂き感謝にたえません。なかでも平成七年一月の阪神大震 災のことですが、学長以下教官、ドクター、看護婦さん、各学部の学生、事務の方々が一致団結して救援にあたり無事任務を終えたことは、これから先も忘れることはないと思います。
 それから、退官された教官の言葉「男は人前で弱音を吐くな」が忘れることができない教訓として、思い起こされます。在職中、苦しいこと、楽しいこと、数多くありましたが、呉のIHIドックから船乗りの最初を歩みだし定年も呉基地で迎えること は、複雑な思いとともにある種の因縁めいた人生を感じております。
 最後に、広島大学の皆様への感謝の念と、大学の更なる発展をお祈りいたします。

平成7年10月の乗船実習(韓国慶州)での船上で



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