四十年を振り返ってみると
児玉 能規
(こだま よしのり) 歯学部総務課
〈部局歴〉
昭和32・5 政経学部
32・10 医学部附属病院
43・5 工学部
48・4 経理部主計課
48・9 (呉工業高等専門学校)
52・4 政経学部
52・5 法・経済学部
54・4 経理部経理課
56・4 医学部
58・10 工学部
61・4 理学部
平成元・5 歯学部
3・4 法学部・経済学部
7・4 歯学部
いつも人ごとと思って読んでいた退職者の記事を、遂に書く順番が来たようですので思いつくままに書いてみます。
昭和三十二年四月、政経学部(現在法学部・経済学部に改組)が広島市江波町から広島市東千田町に移転した年の五月に就職しました。当時は古き良き時代と申しますか、昼休み時間は目の前の南グランドで教職員が一緒になってスポーツを楽しんでい ました。
昭和三十二年十月、呉市から広島市に移転して間もない古いレンガ建ての医学部附属病院経理係に配置換となりました。ここで最も驚いたことは仕事の内容が今までと違い、病院収入の見返りとして予算が配分されること。しかも前年の実績がないため 、患者数の予定、それに伴う診療実績、収入見込み等を算定するのに大変苦労をしました。最後が歯学部で、患者数に悩まされながら仕事をしているのも何かの因縁ではないかと思います。
法学部・経済学部には大変縁がありまして、三度勤めることになりました。昭和五十二年五月に法学部・経済学部の改組、並びに平成七年三月法学部・経済学部が東広島市への移転と第二部存置の問題など当時のことがいろいろと思い出されます。その 時々の記憶を振り返ってみると、アッという間の四十年間であったようでもあり、長かったようでもあり、今、複雑な気持ちで仕事をしています。その間、皆様には大変お世話になり有り難うございました。
最後になりましたが皆様の健康と広島大学がますます発展されますようお祈りします。
広大フォーラム29期6号
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