研究室の憶い出

 小村 衆統(こむら しゅういち) 経済学部応用経済学講座 

〈部局歴〉
  昭和32・3 (民間)
    38・4 (愛知学芸大学)
    41・4 政経学部
    52・5 経済学部
   
 


 約三十年前、私が広島大学に着任した時の研究室は、移転以前の東千田キャンパスのグランド東端にあった三階建てビルの最上階、西向きの部屋でした。初めて広い個室を与えられて、大変嬉しくて研究もはかどりました。
 しかし、夏の午後の長時間の西日には閉口しました。当時クーラーはなく、扇風機が一つ、日除けカーテンを下ろすと風が通らず、その上、屋上の熱気が加わって室内の温度はゆうに三〇度を上回り、体温に近いこともしばしばでした。そんな時は、廊 下側のドアを開け放し、来客ことに女性の来客があれば困るなと思いながら、随分ひどい格好で机に向かっていました。
 数年後、棟続きの最上階東向きの研究室に移りました。この部屋も夏は屋上からの熱気で暑かったのですが、冬の午前中ずっと陽がさし込み、明るく暖かいのが取り柄でした。もっとも、夕方の何時間かはグランドでのクラブ活動の騒音に悩まされまし た。
 しかし、結成から十数年間、経済・法両学部教官ソフトボールチーム「ウェンズディ」のメンバーとして、毎水曜日のように昼休み時、素早くゲームに出てゆくことができたのは、研究室がグランドの間近だったお陰です。また足を痛めてゲームに出場 しなくなってからは、内野観覧席中段のようなこの研究室の窓から、しばしば残念な思いを抱きながら、ウェンズディの試合を見物していました。私の主要な研究も、この研究室でのものです。
 三番目は、現在の東広島キャンパスの研究室で、六階建てビルの四階西向き。以前よりも少し狭いが、冷暖房エアコンあり。閑静で、窓から山々が遠望でき最高です。わずか三年間ですが、この研究室を使用できたことはラッキーだったと思っています 。

広島大学最後の研究室で,最後のゼミ生と共に



広大フォーラム29期6号 目次に戻る