よく遊び、よく学ぶ

 増原 文司(ますはら ふみし) 生物生産学部事務部

〈部局歴〉
  昭和33・6 教育学部三原分校
    37・4 教育学部附属三原小中学校
    48・4 理論物理学研究所
    50・10 原爆放射能医学研究所
    54・7 歯学部附属病院
    59・4 工学部
  平成元・4 生物生産学部
    4・4 理学部
    6・4 工学部
    7・4 生物生産学部
   
 


 昭和三十三年、教育学部三原分校を振り出しに、四十年間にわたって多くの皆さんに巡り会い、お世話になった広島大学とお別れする時がまいりました。
 三原は私の地元であり、附属学校とあわせて十五年間お世話になり多くの思い出がありますが、若いときでもありスポーツが好きだったので、野球チームをつくり対外試合など盛んに行っていました。
 先輩たちから遊ぶこともいろいろ教わりました。囲碁、麻雀そしてお酒の飲み方などなど。先生方とお酒を酌み交わしながら、もろもろの運営のあり方などについて、喧々がくがくと意見を交わしていた頃のことが昨日のことのように思い出されます。
 今は、生物生産学部の附属水産実験所となっている理論研では、和気あいあいと家庭的な雰囲気で、給料日に所長先生のおごりで職員みんなでの夕食会が楽しみでした。
 原医研と歯病の霞地区では、歯学部附属病院の全面改修に係わり忙しい日々でしたが、そんな中でも五時になると伝統的行事が待っていて、みんな元気を出していました。当時の皆さん本当にお疲れさまでした。
 最後は工学部、生物生産学部、理学部の東広島地区で、集積化システム研究センター、遺伝子実験施設、遺伝子科学独立専攻の新設等の概算要求に係わり、悪戦苦闘しながらもゴルフに凝りだしてしまった。
 あれやこれやで遊んでばかりいたように思われるかもしれませんが、自分なりに「よく遊び、よく学ぶ」に徹し、悔いのない四十年間でした。広島大学の皆さん、長い間本当にお世話になりました。
 これからの広島大学の更なる発展をお祈りいたします。



昭和33年,三原分校のミカン狩りで(筆者中段中央)



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