思い出

 中西 博曹(なかにし はくそう) 生物生産学部事務部

〈部局歴〉
  昭和31・9 水畜産学部
    54・4 生物生産学部
    62・1 附属学校部
  平成元・4 工学部
    4・4 教育学部
    7・4 生物生産学部
 


 生物生産学部の前身である水畜産学部に採用になったのは四十数年前。当時水畜産学部は、現在の日本鋼管福山製鉄所のある旧軍施設の海岸沿いにあり、昼休みには潮干狩りをしたり、魚釣りを楽しんだり、沖合には学部のシンボルである練習船「豊潮丸」が静かに錨泊していました。今では名残を留めるものはほとんどありませんが、のどかな毎日を過ごした思い出深いところです。
 その後職場は何度か変わりましたが、月日の立つものは早いもので、人生の一つの節目である定年退職を迎え感慨深いものがあります。
 これまでの四十年余りの長きにわたり、曲がりなりにも勤務できましたのも、多くの皆様方の温かいご指導があればこそと深く感謝しております。
 広島大学では、生物生産学部での勤務が一番長く、その中でも豊潮丸との出会いが強く印象に残っています。毎年ドックに入る際行う入渠補修工事の契約事務、竣工検査立会い、現在活躍中の豊潮丸については、二十年に一度といわれる建造工事の契約事務にも携わりました。
 この時の仕事の中で一番苦労しましたのが、予定価格の積算事務でした。主計課から泊りがけの応援も得て、連日夜遅くまで休日返上で一か月かかって契約伺を作成したときは、一瞬肩の荷が降りたような感じを受けたのを今でも覚えています。当時の 係長は事務局へ行くたびに白いものが増えたのでは、と冷やかされたそうです。その豊潮丸も年を重ね十九年が過ぎ、今後は次世代の練習船としての代船建造が一日も早く実現することを祈るばかりです。
 在職中の多くの思い出はつきませんが、その一つひとつを心の糧として、これからの人生を歩んで行こうと思っています。皆様方のご活躍を心からお祈り申し上げます。


96年2月,北海道大学練習船「おしょろ丸」で(筆者右から2人目)



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