Last but not least

 中谷 喜一郎(なかたに きいちろう) 学校教育学部言語教育学講座

〈部局歴〉
  昭和38・4 (福岡学芸大学)
    41・4 (福岡教育大学)
    43・5 教育学部
    47・4 教育学部東雲分校
    53・6 学校教育学部
 


 もう何年も前のことになるが、広報委員会委員長として退職なさる方々に「退職者は語る」の記事をお願いしたことがあったが、今回は立場が逆転して依頼される側になった。
 広報の今昔を顧みて感慨深いものがある。あの頃ようやく大学人の口の端に登り始めた自己点検なるものを我もするなりとて「広大を斬る」と週刊誌紛いのタイトルをつけて特集したのも懐かしい思い出である。
 その際、自らの足元を見つめ直す意味で学内の樹木の写真をカラーで印刷したところ、それだけで一年分の広報の予算が吹っ飛んで、一号だけで後が出せなくなり、当時の沖原学長に恐る恐るお金の無心に行ったことも今では懐かしい思い出である。
 ただ、広報に携わっていて疑問に思ったのは、広報というのは学の内に向けることもさることながら、学外に眼を向けることも必要ではないかということであった。「広大フォーラム」は今や大学広報誌としては日本一、王者としての地位を確立したが、もし転機が訪れるとすれば、その辺りが問題になるのではなかろうか。
 広島大学には昭和四十三年からお世話になったが、印象としては「喧騒に満ちた」の三十年間であったように思う。
 大学紛争の騒ぎに始まり、移転の騒ぎ、大学改革の騒ぎ。まさにシーザーのひそみに習えば「来た、見た、騒いだ」であった。元来騒ぐのが好きな男だから、それでよかったのかもしれないが、静かに思い直してみると、「無駄騒ぎ」であったようにも思える。今はthe rest is silence.静かに消えゆくのみである。



英語教室同窓会で行った閑谷学校(岡山)でカイノキ(学部の木)を背にして(筆者左端)



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