学舎を去るにあたって

 岡野 賢吾(おかの けんご) 附属高等学校  

〈部局歴〉
     昭和35・4 (公立学校)
      40・4 教育学部附属中学校
      41・4 教育学部附属高等学校
      53・6 附属高等学校
   
 


    あっという間の三十三年間でした。「広島大学附属でちょっと武者修行をしてくる」と言って故郷の島を出てからの歳月です。
 大学卒業後、山の高校で三年、島の高校で二年、それ以降は今日までずっと本校でお世話になりました。島の高校は私の母校であり、広島大学も母校ということで、私の教職生活は母校めぐりということになります。
 思い起こせば、本校に赴任した当時は何もわからぬ若輩で、とまどいを覚えましたが、学識豊かな諸先生方の指導を仰ぎ、また思いやりのある生徒諸君のバックアップを得て、楽しく学舎にとけこむことができました。
 未熟でわがままな私が、今日まで何とかやってこれたのは、ひとえに素晴らしい仲間たちの忍耐と寛容があったればこそ、と心から深謝いたしております。
 私の教職生活は慨して、「沈香も焚かず、屁もひらず」といった感がいたしますが、授業に対する情熱だけは持ち続けた、と自負いたしております。
 楽しいことも、悲しいこともありました。生徒と共に喜び、悲しみ、共にそのおりおりの感激を味わってきました。諸先生方からだけでなく、生徒諸君からも多くを学びました。「我以外皆師なり」という心境をいまだに持ち続けており、今日まで育ん でいただいたことを感謝いたしております。
 温情あふれるこの学舎から去らねばならぬか、と思うと愛惜の情に耐えません。
 この附属が、いや広島大学が、今後ますます発展し永遠に不滅であることを念じて、筆をおきます。

英語科旅行の香港で(筆者中央)



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