保健管理センターと私
重信 卓三
(しげのぶ たくそう) 保健管理センター
〈部局歴〉
昭和38・4 (国立病院)
39・4 医学部
40・4 学生部厚生課
40・5 医学部附属病院
45・11 医学部
57・6 保健管理センター
私は昭和三十九年四月、医学部第二内科に入局しましたが、すぐに本部医務室(元総科あたりの木造建築)に週一回の出張を命じられ、続いて同年九月からは比婆郡の西城病院に出向を命じられましたので、その後再びセンターと係わりになるとは思ってもおりませんでした。しかし、赤い糸がつながっていたのでしょうか。
保健管理センターは昭和四十五年四月に発足しましたが、私は同年十一月から再び厚生課医務室(身分は医学部講師)に勤務することになりました。医務室所属といっても、教官室も仕事もセンターの先生方と全く一緒にやってきましたので、厚生課所属の意識はありませんでした。
センターの所属になったのは、昭和五十七年教授になってからですが、センター発足当初からの人間は、私の退職を最後にいなくなることになります。したがって、新年度から第二世代に入ることになります。
この東広島移転に際しては、新しいセンターと北センターの設計に関して基本的な部屋割りの設計をさせていただきました。しかも、でき上がった施設については、皆さんにほぼ満足していただいているようで、よい置き土産になったと自己満足してお ります。
また、新しいセンターの建物ができた時には、周囲にハナミズキの木が十数本植えてあったのですが、その年(平成六年)の夏の異常な水不足でほとんどが枯れてしまい、残ったのは二本のみでした。
それで、そのあとに、年中何か花が咲いていればと思って、サザンカや桜、夾竹桃、サルスベリ、金木犀等々を植えましたが、土が悪いので生育がよくありません。広島大学・保健管理センターの発展とともに、立派に成長してくれることを願っております。
スタッフとコスモスに囲まれて
広大フォーラム29期6号
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