十年一昔

 山田 勇夫(やまだ いさお) 医学部管理課  

〈部局歴〉
     昭和33・4 (民間)
    36・12 医学部附属病院
    43・5 歯学部附属病院
    45・10 教育学部
    54・4 医学部
    61・4 医学部附属病院
  平成元・5 医学部
    3・10 原爆放射能医学研究所
    4・10 歯学部
    7・4 医学部
   
 


 赤レンガの林立する兵器廠跡地の医学部附属病院で公務員生活の第一歩を踏み出して、三十有年の歳月を過ごした。
 広島駅前地区、猿猴川添いの桜並木、段原地区などの再開発、今では昔日の面影を偲ばせるものは何一つない。あえてあると言えば、霞キャンパスの医学部資料館の記念建物ぐらいであろう。二十八年間霞キャンパスの各学部で公務に励んだ。この間、かけがえのない「知己」を得たことは、私にとって一生の「財」であると感謝している。
 昭和三十六年九月、駐日アメリカ大使ライシャワー夫妻を迎えての新病棟(現在の西病棟)オープン式典があった。大使の流暢な日本語での挨拶と気品に溢れた風格に深く感動し脳裏から離れない。
 霞キャンパスの再開発計画も実現にむけて歩みを開始した。医学部がさらに医療機関の中心拠点として、また地域社会のフォートレスとしての限りない発展とともに、広島大学のますますの隆盛を祈りつつ…。

三段峡で



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