"Are you a Japanese?" きっかけは、M氏のこの言葉だった。 ベルギーの首都ブリュッセルから五十分ほど列車に揺られると、ブルージュという小さな街にたどりつく。この街のはずれにあるホテルに、私は宿泊していた。お世辞にも豪華とは言えないこぢんまりしたホテルだったが、経営者の温かさに感激し、連泊を決めた二日目の朝の出来事だった。 出発のために早くから食堂に降りた私は、まだ誰もいない部屋で一人席についていたのだが、運ばれてきた朝食に手を付けた時、一人の男性が食堂に入ってきたのである。大きなカメラを携え、旅慣れたふうに見えたその姿は、私の好奇心をかきたてるのに十分だった。 「どこの国の人なんだろう」「話してみたい」そんな思いが膨らんではいたが、遠く離れたテーブルでくつろいでいる所へ、朝食を中断してまで出向く勇気はなかった。だが半ばあきらめかけていた頃、願ってもいなかった幸運が訪れた。宿のスタッフが、テーブルの関係からなのか、その男性を私の隣のテーブルへ案内したのだ。そしてさらにうれしいことに、男性の方から声をかけてくれたのである。 "Yes, I am." 私は即答した。果たして、その方も日本人だった。奈良市在住で法律関係の仕事に従事しているM氏は、夏季休暇のうち三週間を撮影旅行に費やすのが恒例だという。その朝も、十年に一度のショットが撮れたと、声を弾ませ話してくれた。結局年齢の差を少しも感じさせないM氏の話術に引き込まれた私は、急いでいるのも忘れ、一時間以上話し込んでしまった。 時間の関係で、名残りを惜しむ間もなく別れてしまったが、M氏との朝食は今でも懐かしく思い出す。旅先では、些細な出来事にさえ心動かされるほど感性が豊かになり、旅に出なければ絶対にありえないような人との出会いもある。年齢、住んでいる場所、国籍、地位などを超え、一緒に楽しい時間を共有できるのは旅な らではだろう。 日常の人間関係も偶然が重なってできているのだが、それを実感する瞬間は少なく、当たり前のように毎日の生活を送りがちである。だからこそ出会いの偶然の素晴らしさを直に感じることができる旅に、私は魅了されるのかもしれない。幸い、これまで怖い思いもせず各地で親切にされ続けている私の旅の虫は、当分おさまりそうもない。 |