1000字の世界

四十歳の決断
 ─ロスから広島へ

文 水本 和実(Mizumoto, Kazumi)
社会科学研究科博士課程後期一年
 国際社会論専攻





 昨年春、十六年間の新聞記者生活にピリオドを打ち、勤務していたロサンゼルスから戻って郷里・広島の大学院へ入学した。四十歳で会社を辞め、妻子を抱えての学生生活に、友人らは「無謀な決断だ」と驚いているが、私自身は久しぶりに組織に縛られない生活を謳歌し、毎日を新鮮な気持ちで過ごしている。
 記者時代、私は主に社会部と外報部に属し、海外出張の機会も多かったが、決まって幾つかのパターンがあった。
 突然何か大事件が発生し、ポケベルで呼ばれて「おい、明日一番の便で現地へ飛んでくれ」と命じられるのだ。このため私はいつもパスポートを携帯していた。そして「現地」はたいてい初めての国で、予備知識はゼロ。向こうに着いて現地の新聞や雑誌を読みあさり、にわか勉強と取材を並行して進めるのが常だった。
 ペルーの日本大使公邸占拠事件では、発生数時間後に現地へ向かった。だがスペイン語は全くできないので、日系人の助手に新聞や資料を訳してもらいつつ取材した。
 ネパールの航空機墜落事故では、カトマンズ入りした後に本社から「墜落現場のヒマラヤ山中へ向かえ」との度重なる指示があり、シェルパを雇って出かけようとしたが、往復一週間かかると分かって断念した。ところがその直後、同じホテルから軽装で現場に向かったフランスの調査団はその日に高山病で死亡した。万一向かっていればと思うと、ぞっとする。
 フィリピン・バギオの地震では、「救援機が現地へ向かう」との話だけを頼りにマニラの空軍基地へ行き、毛布を積んだ軍の輸送機、途中から医療支援チームを乗せた軍のヘリに乗り継いで現場へ着いた。カンボジアPKO取材では、ロシア製の墜落しそうなヘリでタイ国境近くまで行き、地雷やロケット弾を山積みした武器庫に足を踏み入れた。
 こうした生活はそれなりに充実していたが、大学のアカデミズムの世界に比べると、いくつかの点で決定的に違う。まずテーマ(取材対象)は突然、本人の専門分野とは無関係に飛び込んでくる。次に有無をいわさずフィールド調査(現場行き)が命じられる。先行研究(スクラップ)を丹念に調べる余裕は全くない。論文の章立てや結論はおろか、序論のメドも立たぬうちに、到着したその日に論文執筆(ルポ)が命じられる……。
 今の私にとって、体に染みついたこうした習性を直すことが、当面の課題である。


 

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