2000字の世界

宿 題

文・写真 北野 幸子(Kitano, Sachiko)
教育学研究科博士課程後期3年 幼児学専攻





 大学院に進学してはや五年が過ぎようとしている。そのちょうど真ん中にあたる年に、私は、ミネソタ大学教育学部との学部間協定制度のもと、交換留学をさせて頂く機会に恵まれた。
 一年足らずの短い期間ではあったが、大変刺激的な時間を過ごすことができた。


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 私は、アメリカと日本の幼児教育の勉強をしているが、初めて訪れたアメリカの幼稚園は、想像以上にプラクティカルで、個人主義的で、多元的であった。
 留学中にまず驚いたのは、大学院のクラスに現役の学校の先生がたくさんいたことだ。私の同世代が半数を占めたのは教育哲学と教育史の授業だけで、「幼児教育学の今日的課題」「親教育」「家庭教育」等の授業では、同級生のほとんどが十歳以上年輩だった。
 その同級生や知人のつてで、幼稚園をいくつか訪れた。ビデオ撮影を依頼したが許可されたのは二園のみで、大半は保護者の承諾が必要とのことだった。観察にサインを要する学校もあった。知人の勤務先であるアルゴンヌ国立研究所のデイケアセンターを訪れた時は、入所用のIDカードまで作製した。プライバシー尊重を実践的に学んだ。
 多くの園で保育体験をさせてもらった。ある園では、日本の小学校でもよく教材となる「スイミー」の話を私が読んで、子どもたちがお絵かきをするコーナーを担当した。子どもたちが好きなお話は国境を越えて共通だった。どの園でも子どもたちはアグレッシブで私は質問責めにあった。自分のことや日本についての知識を一気に話してくれた。さまざまな自己主張が楽しかった。
 別の園では、先生の呼びかけに応えて「あなたは友だちよ。髪の色が違っても、肌の色が違っても、話す言葉が違っても、やはりみんな友だちよ」と歌ってくれた。一つのクラスから四か国語が聞こえてくる。教室の中に点在する英語学習ソフトやABCブック。そんな環境がごく自然に用意されていた。


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 この国の暗い側面も私の想像を遥かに超えたものだった。ダウンタウンで追いかけられ、構内で銃声を聞いた。レンタカーで一人、シカゴ大学を訪れた時は、赤信号で止まったとたん、昼間だというのに取り囲まれた。
 私はかつてInter Community Schoolのクラスでたった一人、英語の分からない生徒だった。だから、人種、宗教、文化が混在する環境にはいくらか適応力があると愚かにも自負していたように思う。しかし、アメリカの豊かさ、多様性、包容力、そこでの実践の複雑さ、難しさは想像以上で、面食らった。
 クラスで知り合った友人たちとお互いの国の教育問題を語り合った。国際学力テスト、青少年の犯罪、識字率、離婚率、アビューズ、知育偏重等。彼らは、アメリカの教育状況を危惧していた。帰国前には、「アメリカの幼児教育から何を学んだ」と自己評価を求められた。私に課せられた宿題である。
 アメリカの暗い側面はフォローしたくない。それでも、私にはアメリカから学びたいことがたくさんあるのだ。他者への想像力の大きさ、許容力の広さ、自分の物差しでは計れないものへの認識とそれを尊重することを自然に学ぶ環境等。すべて教育の原点ではないか、と考えながら。


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 現在大学院生活を送りながら私は、恵まれた、しかし、閉鎖的な環境の中でつい視野が狭くなっている自分に怖くなる。いろいろなものへの批判は、実は、折衷的態度や想像力の欠如からくるのではないか、と。とくに、教育的営みは、未知の存在である人間を扱うのだから、折衷的態度や想像力が大切なようにも思う。でも一方で、批判や反省による分析がなされないと進歩がないのでは、とも考える。
 アメリカの友人がくれた宿題の答えは、まだまだ模索中だ。しかし、幼稚園を通して見たアメリカの断面は、私のなかのジレンマを顕在化してくれた。そして放っておくと、つい凝り固まりがちな私の頭を、少しはほぐしてくれているように思う。

 

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