経済学部


三十年後の再会

経済学部長 前川 功一

 最近、卒業以来音信不通になっていたゼミの卒業生から、突然電子メールが届くことが時々ある。インターネット上の広島大学のホームページを見て懐かしくなりメールを出してくるようだ。卒業生と大学との係わり方も変わって来たのだと感じる。
 諸君は、卒業後、東広島市あるいは東千田町のキャンパスを訪れるチャンスはほとんどないかも知れない。しかし、折があれば広島大学のホームページを開いて母校の様子を見て、外から見た広島大学の感想を寄せて貰いたい。大学の同窓だからとか同期だからといって、いつまでも群れる必要はないし、ましてや特権的なグループを形成し、お互いに利益供与しあう時代ではない。そういう人的なつながりが今の日本社会の不透明さにつながっている側面も否定し得ない。しかし良い意味の同窓意識まで捨て去る必要はない。
 広島大学卒業三十周年記念祝賀会という会が毎年開かれている。昨年、卒業三十周年を迎えた私は、その会の世話役を仰せつかりこの祝賀会を開催した。三十年ぶりに再会し、すぐには誰だか分からなかった友人も、ひとこと言葉を交わせばすぐ昔の表情に戻り大変懐かしい思いをした。
 卒業後も頻繁に交流を続ける友人は少ない。諸君も大半の友人とは、卒業以後一度も顔を合わせることがないかもしれない。しかし社会という大海にもまれつつ、時折インターネット上で、また風の便りで、かすかにお互いの無事を確認し合い、あいつもがんばっているなと思う程度の淡々とした交遊にも捨てがたい味がある。諸君にも三十年後に再会し、お互いの無事を祝いあう日が来ることをお祈りする。

 



卒業にあたって

経済学部 鈴木 平

 五年間の大学生活は、キャンパス移転と制度変更の過渡期にあたり、二部生として自律と適応力を要するものだった。しかし諸先生方の熱心なご指導と、多くの勤労学生や社会人との出会いのおかげで、真剣に勉学に取り組むことの素晴らしさを知ることができた。学問的な知識を得るとともに、二部生の立場から大学を見つめ続けた貴重な日々だったと考えている。
 学生生活の傍らアジア大会や県青年海外派遣など国際交流事業に参加するよう努めたが、そのような活動のなかで平和を愛する広島の心と、日本や世界をとらえる客観的視野を学ぶことができた。学内外ともに広島で過ごしてきた日々はとても有意義なものだった。
 ふる里を遠く離れることに賛成し、いつも励まし支えてくれている家族に心からお礼の言葉を述べたい。先生をはじめ応援してくださる多くの方々に感謝しながら、四月に進学した後も広島大学でいっそう学業に励んでいきたいと思っている。

チューターをした交換留学生のジェニファーさんと一緒に
 


 



忘れられないことに

社会科学研究科博士課程前期  程 宏

 日本での院生を含めた大学生活七年間は、振り返って見ると、いろいろな良い思い出を胸に、あっという間に過ぎて行った感じです。無事に卒業ができるのは多くの人々のおかげと感謝しています。新たな門出を迎えた時、一つだけどうしても忘れられないことがあります。
 それは、私が学部一年生の時の話です。経済学基礎という必修科目で、期末試験の成績が不可になりました。自分自身では良くできたと思ったのに、なぜか分りませんでした。もしかすると何かの間違いではないかと思い、担当教官の研究室に尋ねて行きました。多数の不可の答案用紙の中から、やっとのことで私のを見つけた時、先生がいきなり大声で笑い出しました。その時の穴埋め問題の正しい答えは(家計)、(企業)だったのですが、私はそれを(家属)、(会社)と書いていました。
 先生は、「君は、経済学の用語を使っていないので、当然点数を付けられません。経済学を勉強する前に、まず、日本語の習得にしっかり力を入れて下さい。それができなかったら、三年生からゼミに入ってもついていけないよ」と言われました。
 それから、私は先生の言われたことをしっかり心に刻み、日本語の勉強の仕方を考え、目的にかなうように励みました。このことが何をおいても大学生活を無事に乗り越える大きな要因となりました。

法学部の友だち堀田君(左)と一緒に撮った写真
 

 
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