編集後記



同じ委員会に五年も所属したのは初めてだが、委員会の仕事で文部省からほめてもらったのも初めて。今度文部省のお役人から叱られることでもあったら、あのときの最優秀賞でチャラにして、と頼もうと思っている。
 広島のキャンパスで委員になって、それから東広島に移転。東広島のキャンパスから広島の事務局まで原稿を確かめるために通ったのを思い出す。得たものは多い。中でも、新たに脱皮しようとする本学の動きを、広報の目でつぶさに眺めることができ たのは貴重だった。
 とても有意義な仕事ができたし、またそうする中でとても素敵な同僚や先輩と巡り会えた。二年前の編集後記に「サヨナラ」と書いて、さらに二年間広報委員を務めたが、でも今度こそ、ほんとに「サヨナラ」。
(第29期広報委員 越智 貢)



嬉しく過ごした五年間  事務官の渡邊係長。しばしば「大学の先生にゃもっと面白い文章を書いてもらわんにゃいけん」、と直言。リベラルな雰囲気の委員会になったのは氏によるところ大。フォーラムは有能な事務官なくしてあり得ない。
 ところで、最初に出会った委員長は辣腕家の難波(総合科学部)教授。「大学にも強者」、が第一印象。最初の仕事は表紙のリニューアル。大方の反響は「アカデミックな大学には不適切」、とかんばしくなかったはず。しかし、難波委員長は動じなかった。私に一任、したいことをさせていただいた。感謝。精一杯やった。
 任務を終え、明日から少し落ち着いて勉強ができるかな、とニコニコ顔。
(第29期広報委員 若元 澄男)



 “卒業生号”をお届けします。
 六号の“退職者号”に続いて、各広報委員が、それぞれの部局の部分を取材からレイアウトまで担当して特集を作りました。読みやすい誌面作りに苦労した委員もいましたが、それぞれの執筆者の意欲があふれる、特徴ある誌面ができたと思います。
 歯学部高田名誉教授からの投稿掲載の可否については、三回の委員会で長時間議論され、本号掲載の形で委員会の一致を見ました。  さらに「読者からの手紙」として、委員長や委員会に寄せられた編集や記事に対する意見を載せました。このうち「霞キャンパス七不思議」については五号特集のリード文にあるような経過で、特集担当者と私が「霞プレス」の諸君に依頼して書いてもらったものです。従って掲載・編集の責任は当委員会にあり、井内教授のお手紙の最後の段落に書かれていることは、編集方針への意見として今後の検討して参りたいと考えています。
 二つの投稿と読者からの手紙など、今号では、本誌を意見交換の場にしたいという今期の方針の一つが、の方針の一つが、少しは実現できたと考えるのは楽天的に過るでしょうか。
(第29期広報委員長 岡本敏一)



広大フォーラム29期7号 目次に戻る