総合科学部

春 の 峠

総合科学部長 生和 秀敏




 卒業生を送り出す教師の気持ちの中には、春の峠を行く旅人を眺める茶店の親爺と似た気分が潜んでいる。峠にさしかかると旅人は、汗を拭い一息入れるために縁台に腰をおろし、今来た道を少なからぬ感慨を込めて振り返る。
 それまでの道のりが困難なものであるほど、概して立ち止まる時間は長くなる。しかし、いつまでも峠に佇んでいるわけにはいかない。やおら思い直したように、目を先に転じ、再び脚に力を込めて歩き始める。
 坂の下り方も人さまざまである。後ろ髪をひかれるように、振り返り振り返りゆっくり坂を下る人もいれば、一度も後ろを振り返ることもなく、野の花も見ず、あたりの景色をめでることもなく、急ぎ足で去っていく人もいる。その後姿に、過去への思いの深さと明日への意気込みの強さを感じることが多い。
 旅人の無事を祈ることに変わりはないが、これから先の長い道中をあれこれ想像すると、毎年のことながらおもしろい。
 すこし前までの旅人は、店をあとにする時には、身だしなみを整え、茶代にいくばくかの心づけを添え、ていねいにあいさつをして出て行った。このような客は、あとあとまで心に残るものである。
 最近は、店先に腰をおろしたまま動かなくなり、何をするでもなしに、延々と居座り続ける旅人が増えた。こういう手合いに限って、やたら愛想がいいから、むやみに追い立てるわけにもいかない。
 時の流れは、旅人の心を少しずつではあるが、確実に変えているような気がする。「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつむすびて、久しくとどまりたるためしなし」。『方丈記』の一文をあらためて想い起こすのも、冬の終わりの春のはじめのこの時期である。

 



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