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自分の面倒が見られない大学

文 内山 敬康(Uchiyama, Hiroyasu)
総合科学部情報行動 基礎研究講座教授





 「特集 退職者は語る」への原稿を「去るにあたっての思い」、「大学改革への提言」、「言いたい放題」といった内容で書くようにという依頼をお受けして、内容を考えているうちにこのようなものができあがってしまいました。
 「理想とする大学」というのが最初につけた標題でしたが、「よしてくれよ、何を今さら。今どき学生だってそんな甘いことは口にしないよ」と一蹴されて読まれないのが落ちなので、このように変えてみました。  「見られない」には、「能力がない」ことと、「周囲の状況が事実上許さない」の両方の意味が含まれています。少しは刺激になりましたか。

 教育職の先生方、行政職の事務の方々、あなた方を取り巻く現実の運営、現在進行中の将来計画などには納得できない不合理なことがいっぱいあります。物事が理想的にいかないのは当たり前です。
 私はいわゆる不平分子ではありません。私が問題にしたいのは、自分が出くわした矛盾や不合理に対し、積極的に目をつぶるよう皆さんが必死の努力をしている哀れな現実です。無力感、虚無感、出口の見えない閉塞状況が支配しています。そうすることで、皆さんは必死になって最後の生き甲斐を守っておられるのです。
 皆さんの日々の生き甲斐を支える最後のよりどころ、それは、教育職にあっては研究や教育に対する情熱、行政職にあっては学生や先生方を支えていこうという情熱であります。あなた方が向かい合っているところには、常に具体的な人間がいる。それが大切な点です。それが情熱を支えているのです。
 この閉塞状況は大学に限らず、日本の社会のあらゆる所に蔓延しており、行政改革が盛んに議論されています。大学を取り巻く状況が最もひどいし、その改革は日本の将来を左右する最重要事項です。
 しかし、皆さんは全く絶望しておられて、改革どころか問題点さえ話題にされない。そのことを私は問題にしたいのです。システムがうまく働かないのです。その理由は必要な条件を満たしていないからです。必要な条件とは、拮抗し合う二つの因子が、常に相互批判を続け積極的に提案し合い、その結果が現実の政策に生か されるという自信を持てることだと思います。
 一方の因子は、文部省の官僚の意思でありますが、現在では中教審までも手中にしてしまいました。もう一方の因子は、われわれ、大学の市民の意思であります。いつの時代にあっても、人間と直接向かい合っているのは私たちです。この二つの因子がお互いにして、より成熟した民主主義の意識を獲得するよう常に努力することが正しい姿です。しかし、両者ともそれをしていない。
 お断りしますが、私はこの小文で評論家的な解説や批判だけをするつもりはないのです。むしろ、積極的な提案をしたいので以下を続けてお読みください。

 まず、文部官僚に対する提案です。
 現在の基本的なシステムは、富国強兵を目的として明治政府が作った中央集権機構をそのまま維持しています。それは、大学を文部官僚の支配下に置くことを目的に作られました。東京大学はその道具で、設立の動機が不純なため時間が経過しても大学としての正しい伝統が育たず、ねじ曲がったままです。悲劇的な運命といえるでしょう。
 敗戦を契機に米国から与えられた民主主義は、朝鮮戦争が始まると影をひそめました。大学紛争で盛り上がった大学自治の運動も健全に成長することができず、逆に官僚支配と中央集権を強化することになりました。学術会議は、バランスのとれた健全な意識が欠けていたため、ほしかった名誉だけ与えられて骨抜きになりました。
 現在のシステムは、いわゆる経済大国を作ったり、名誉欲を満足させるうえでは成功したでしょうが、それ以上の成熟や発展には役に立たないことがはっきりしています。ロシア共産主義が崩壊したように、いくら偉い人たちでも少数の人間の能力には限界があります。
 人間を相手にしていない官僚による中央集権や中央支配では、あるレベル以上の発展はできない、とはっきり認識し、謙虚に自分たちの限界を知っていただきたいのです。普通の人たち一人ひとりを大切に考える、一つひとつの大学の意思を尊重するところから出直してもらわないといけません。
 現状は、口では個性を唱えながら、やることは個性の抹殺です。画一的なやり方は能率的でしょうが、将来に望みを託すことはできません。そして何よりも大切なことは、政策の合理性を十分に説明する責任、質問に答える責任、筋の通らないことは撤回する責任、合理性のある提言に従う責任を果たす、つまりAccountabilityの意識を養っていただくことです。それがあなた方自身の真の幸せにつながるのです。特権階級はいらないのです。

 次に、市民たる大学の人たちへの提言です。
 私自身がこれまで一緒に過ごしてきた人たちのことですから良く分かっており、自信を持って具体的な注文をすることができます。自分のことは自分で面倒を見るようにしましょう。誰か他の人に頼ることは、他人に従うことに疑問を感じないナルシシストのすることです。決して独立できないし、自分自身の満足を手に入れることはできないでしょう。ナルシシストは研究者としても失格です。
 実質的には、いつの間にか自治権のない植民地状態に置かれることを覚悟してください。。自分だけ甘い汁にありつこうというのは卑劣です。現在の状況を少しでも打開して将来につなげるには、大学の教育職、行政職一人ひとりの意識の向上と直接的な行動を辛抱強く続けていただく以外にありません。
 私の具体的な提案は、全学の委員会や各学部の委員会の運営を最も重要な訓練の場と考えて努力していただくことです。自らの手で希望と理想を実現していくことができるという自信を取り戻すため、「道理と透明性のある運営」を心掛けてください。
 まず、マイナス面をなくすよう心掛けていただきたいのです。「文部省の通達だ」とか「上部委員会あるいは他の委員会ですでに決定したことである」とか「委員会で民主的に決めたことである」「時間がない」といった理由をつけて、一方的に案を押しつけたり、審議を拒否したりしないこと。構成員もそんな理由を認めないことです。
 委員会に寄せられる提案や要求を「利己的な要求である」と決めつけて退けないこと。誤りを指摘されたり、より合理的な案が提案されたり、公開の討議を提案されたり、したときには謙虚に、かつ積極的に応じることです。一番下手な対応は、結論だけを繰り返し主張するだけで、議論しないことであります。
 委員がすべての責任を組織の長のせいにすることも困りますし、構成員が、議論をすることを放棄し、世慣れた物わかりの良い顔をしたがるのも困りものです。
 次に、プラス面を増やすように心掛けていただきたいのです。それには責任をもってことに当たっていただくことです。構成員に対する責任とは、ここでも Accountabilityを義務と考えていただくことです。
 提案の妥当性、合理性を、情報を公開して十分に構成員に説明できることが、提案する場合の最低条件と考えていただく。その条件が成立しないときには提案しないし、一旦提案したことでも、条件が破られたら潔く撤回するということです。特に、反対意見を持つ者に対しては敬遠するのではなく、むしろ積極的に意見交換に努めていただきたい。
 重要なことは、あくまで合理性の追求、筋を通すことであります。提案されたことに反対する場合は、理由を丁寧に説明する。単に反対するだけでなく、対案を出すことです。構成員は辛抱強くそれらを求めていきましょう。
 イギリスの見事な芝生を見て驚いた外国人が、「立派な芝生を作る秘訣」を尋ねました。その答えは「簡単です。毎日水をやり、芝を刈って百年経てばこうなります」だとさ。あせらずにやってください。めでたし、めでたし。


 

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