留学生の眼(63)

  お好み焼き…OK!  

文・ Neil Johnson(ニール・ジョンソン)
工学部ソフトウェア工学講座

 

 アメリカのカンザス・シティから来た僕は、一年間、広大でソフトウエアを研究したり、日本語を勉強したりしている。日本のことをいろいろ学び、できるだけ「変な外国人」になろうともしている。日本のさまざまな料理にも興味がある。

 初めて広島県に来たのは、三年前。研修旅行の最後に立ち寄った時だった。日本は初めてだった。その前の二週間、高層ビルばかりの東京や、古いお寺が立ち並ぶ京都と奈良を観光していた。見たものはすべて気にいっていたが、あちこちをうろうろしていたせいで少し疲れていた。だから、ここ東広島で四日間過ごした時は、結構くつろげた。
 もちろん、東広島という所は「観光地」とはいえないけれども、東広島での経験がアメリカに帰ってからもずっと記憶に残るであろう。それは、初めて広島風お好み焼きを食べた経験によるものである。

 東広島市に住んでいる友だちに、ある町はずれにあるお好み焼き屋につれて行ってもらったことがある(その店の名前を思い出せないが)。
 お好み焼きは中に入れるものを注文するが、「お好み焼き」がどんなものかわからないので友だちに選んでもらった。鉄板の前で食べさせてもらったのはひょっとしたら、「いか・たこ・卵」というお好み焼きだった気がするけど、いずれにしても、日本に来てから最も“ウマイ”ものを食べたような感じがする。
 三年経ってもこのお好み焼きがまだ一番好きな料理だ。寿司や刺身、天ぷら、会席料理も食べたことがある。あのふぐも、食べたことがある。どれも素晴らしい料理だったが、どれをとってもお好み焼きには及ばない。
 なぜなら、ひとつはお好み焼きがアメリカ人の好きな料理と似ているからだ。鉄板の上にのばす「カワ」を見れば、アメリカのパンケーキを思い出さずにはいられない。順番に乗せられた材料はまるでピザのようだ(「ジャパニーズ・パンケーキ・ピザ」はどうかな)。それから、こってりしたお好みソースは、アメリカのバーベキュー・ソースとそっくりだ。僕はいかやたこ、牡蛎を食べるのが大好きだけど、そうでないアメリカ人にも、それらのものがキャベツに囲まれているから、食べやすい。  アメリカ人には絶対人気メニューになると思う。だから、アメリカに寿司屋などが山のようにあるのに、お好み焼き屋は一つもないとは、信じられない。

 しかし、お好み焼きの味ばかりか、お好み焼き屋の「雰囲気」も気にいった。お好み焼きは、古風な漆器に盛りつけて出すものではなく、できたてをその場で、はしの代わりにヘラを使って食べるものだ。きれいに盛りつけたものでもない(もしマヨネーズで飾り文字を入れてもらえれば、違うかもしれないけれど)。
 さらに材料を決まり通りきちんと乗せるものでもなければ、上品なものでもない。キャベツをはじめとする材料をドサッと乗せて、ペチャンコにするお好み焼きは、野趣に溢れているものだ。要するに、僕にとってはお好み焼きが「形式にとらわれない日本」を象徴してきたということだ。
 会社の中でジーパンをはいて、ボスの名前を呼び捨てにしても許されるアメリカでは、できるだけ略式を大事にしている。でも日本は、大体においてそうではない。ここでは礼儀正しさや婉曲的な言い方が教養のあるしるしで、必要以上に敬語を使っている人が多い感じがする。
 もちろんこの文化の違いが悪いとは思わない。慣れるのには時間がかかるというだけだ。だから、上下関係をしばらく忘れて、友だちと一緒にリラックスできる所が欲しい。お好み焼き屋はそういうところ。お客さんはみな同じ熱つ熱つの鉄板の前に座る。見えない所でなく、目の前で焼いてくれるママさんあるいはマスターと、ざっくばらんにおしゃべりしたりする。非常にオープンな雰囲気だ。

 でも、抽象的な話は別にして、お好み焼きは単なる食事だ。そうは言っても、自分で作ろうとした時、簡単ではなかった。大きい鉄板の上で作るのをたった一つのフライパンで真似するのは大変で(そのうえ、料理がかなり苦手だから)、お好み焼きにはありつけず、残ったのは真っ黒焦げのフライパンと、ソースの跳ね飛んだキッチンの壁だけだった。しかし、時間と練習のおかげで、少しはうまくなっているかもしれない。
 自分の「得意料理」もできた。キムチとキャベツに、黄色いピーマン、豚肉、こんにゃくと、そば。今度の「実験」は、牛肉とバーベキューソースだ。本当に「お好み」のようだ。正直言えば、毎回がバクチ。

 お好み焼きの味、お店の雰囲気、試行錯誤する楽しさ。どれにひかれたかと言うと、全てが魅力だ。僕の日本での思い出は、いつまでもできたてのお好み焼きと同じように心に焼き付いているだろう。




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