音とミジンコとヒマラヤ
文 写真・坂田 明
生きものは遺伝子の乗り物にすぎない。そう言ったのはリチャード・ドーキンスである。同様の言い方をするなら「音楽は魂の乗り物である」と言えるのではないかと思う。
だが、「祭り」は神事であり娯楽でもある、といった二律背反性を持つのと同様な面を音楽は持っているということだ。
僕が音楽を職業にしてから二十九年になる。淡水魚を飼い始めて二十年、ミジンコを飼い始めて十五年ほどになる。
こういったことは、すべて僕が人間として生きるということの位相の表れに過ぎない、と思っている。しかし、自分の生きてきた行動の全てが自分の演奏する音に収斂された時、一番の喜びとなる。だから僕の人生の核は音であり音楽である。
ヒマラヤでサックスを吹く坂田明
|
さて、昨年ヒマラヤのヤラ氷河でサックスを吹いた。ヤラ氷河というのは、ネパールの首都カトマンドゥの北にあるランタン国立公園内にある。そこは標高五一〇〇メートルのところに氷河の先端部があるという場所で、高い。近くにあるランタンリルンは七千メートル級でこの国立公園内の最高峰だ。
九月はじめ、ヒマラヤのモンスーン期が終わりを告げる。巨大な氷河の先端部の池のそばにベースキャンプを設置し、そこに一週間滞在した。
サックスを吹いたのは下山する日の朝だった。早朝六時、奇跡的に晴れた空にランタンリルンが、その輝く岩と氷と雪に覆われた美しい姿を現し、周囲の高峰もみな朝日に照らされて神々しく光り輝いてる。氷点下一〇度の空気は冷たいが、これほどの至福の喜びはない、と思える光景がそこにあった。
一生に一度のことだと思ったら空気の薄いこともさほど気にならず、小さなソプラノサックスを取り出し、尾根の手頃な岩の上に座ってプーッと音を出してみた。なんと、音がヒマラヤの山々に木霊して戻って来るではないか。
体の中に不思議なものが宿っているようで、その不思議なものがうごめく感じがする。指は自然に動くようで勝手に音が出てくる。あれはもしかしたら、ヒマラヤの精霊に吹かされていたのではないかと思っている。
その音は、谷の向こうの六千メートル級の山々まで走って行って、走って戻ってきた。音が走るのがわかる。七千メートルを超えるランタンリルンへも音が走った。精霊たちがみんなで踊っていたのかも知れない。
なんでそんなところへ行ったのかというと、ヤラ氷河にミジンコがいたからだ。ミジンコが地球上のいたるところにいることは、知識と経験で知ってはいたが、まさか氷河の中に棲息しているとは思ってもみなかった。つまり、氷の中に棲息しているということだから、エーッと驚いた。
「サカタさん、ヒマラヤの氷河にミジンコがいますよ」。僕のそばに寄ってきてそう耳元でつぶやいた男がいた。その人は東京工業大学理学部の助教授で、幸島司郎という雪虫の研究者と判った。
幸島さんは、京都大学を退官された日高敏隆教授のお弟子さんで、最近生物学の面白い本をいっぱい書いている竹内久美子さんと同期らしい。山岳部にいたので、日高先生に「山で何か研究テーマを見つけて来なさい」と言われ、「雪虫」を見つけたと言う。その流れでヤラ氷河の「ヒョウガユスリカ」を発見し、そのついでに「ヒョウガソコミジンコ」まで発見してしまった人だ。
ベースキャンプで
|
ヒョウガソコミジンコ
|
三年ほど前のことだと思う。日高教授の退官パーティーの席でのことだ。
「どうやって行くの」
「荷物かついで歩いて」
「オレ体力落ちてるしなあ」
「それがモンスーン期にしかミジンコはいないんですよ」
「モンスーンの時って雨が降るの」
「雨が降ると山の下の方はヒルがいっぱいいましてね、縞模様で五センチくらいの奴がいたり」
「やだよそれ」
「それで次は南京虫がいましてね。眼の縁とか噛まれるとこんなになって腫れましてね、最低ですよ」
「やだよ、そんなこと」
「最後はシラミでしてねェ、三重苦」
「ゲーッ」。
話を聴いただけで嫌になる条件だが、なぜか行きたくなった。しかし金もヒマもないのに、どうやって行くかだ。こうなりゃあテレビのドキュメント番組にするしかあるまい。知り合いのプロデューサーに話をしたら、二年がかりで実現する運びになったというワケ。
行きたい気持ちはもちろんあるのだが、痛風に高血圧を抱えている上に日頃歩いていないから足腰が不安だ。心のどこかではボツになればいいのに、という気持ちがあるから、決心は揺らいでいたのだ。
幸島司郎さんは撮影の時期にはカムチャッカへ調査に行くから同行はできない。その代わりにドクター一年目の竹内望君というのが同行してくれることになった。それに、ランタンリルンの麓の村で、長年チベット文化の研究をしている貞兼綾子さんが案内役をしてくれることになった。カメラマンの明石太郎さんは、僕が前から一回一緒に仕事をしたかった人なのだが、この人貞兼さんと結婚していた。なんだこりゃあである。録音の永峯康弘君とディレクターの坂野晧君は、「微塵子空艇楽団」という僕が編成した、日本、アメリカ、アフリカの混成楽団の中央アジアツアーに同行した仲間だった。
幸か不幸か、ヒル、南京虫、シラミの三重苦には出合わず我々はヤラ氷河へ登った。
そこには本当に一ミリ弱という小さなカイアシ類、ヒョウガソコミジンコ(Glaciella yelensis)がいっぱいいた。氷河上の細流の中やクリオコナイトホールという氷河にできた丸い穴の中に、ヒョウガユスリカという羽根の退化したユスリカの幼虫と共に棲息していた。
そのミジンコは金魚のような真っ赤な色をして、元気に氷の中を泳ぎ回ってエサのラン藻を食べていた。
ヒマラヤで顕微鏡を覗く坂田明
|
一歩一歩自分の足で登る中、ガスや雪の合間に一瞬顔を出すランタンリルンや高山植物の可憐さは、高地障害を乗り切るのを応援してくれた。ベースキャンプへの最終のモレーンを登り切ったとき、僕の胸は張り裂けた。
そうしてやっとミジンコに出合えた感動は、サックスの息の音となり、ヒマラヤの山々へ走りつ戻りつ精霊たちの踊りになったのだった。
プロフィール
(さかた・あきら)
☆ジャズミュージシャン
サックス,クラリネット奏者
☆1945年広島県呉市生まれ
☆広島大学水畜産学部水産学科卒業
☆1972年山下洋輔トリオに参加,海外でも高い評価を得る
☆現在,坂田明トリオ,ハルパクチコイダを中心に活動
最新作CD坂田明トリオ「どうでしょう?!」をプライベートレーベル『ダフニア』からリリース。
また,1996年趣味が高じてビデオ「ミジンコの宇宙」を企画制作し発売
著作も多く,1997年「ミジンコ道楽−その哲学と実践」を講談社より発売
広大フォーラム30期1号 目次に戻る