2000字の世界(20)

正直に生きるということ

文・ 山本 英喜(Yamamoto, Hideki)
医学部医学科





 同じ言葉でも、実際にそれを口にする人の年齢によって、受け止められ方はかなり違ってくる。
 例えば、「プロ野球選手になりたい」という台詞を小学生が言うと、「おっ、夢があっていいねえ」なんて褒められたりするのだけれど、大学受験を半年後に控えた高校生(仮にA君としよう)が「俺、やっぱプロ野球に入りたいんです」と進路指導の先生などに言っても、残念ながらアホ呼ばわりされるのがオチだろう。
 きっとその先生は、エースとは言え地区大会一回戦負けを繰り返したA君に「自分の能力と現実を見ろ」と言うだろうし、A君はA君でその一言にグサリと傷つきながらも、一生懸命自分の野球に対する思いや夢を先生に語ったところで、相手にされない。さらには追い討ちをかけるように「少しは大人になれよ」と言われてしまい、A君はしょげて、その場を立ち去るしかないのかもしれない。
 そうして、A君は家に帰る途中の河原に一人腰を降ろし、「大人になれ、か」とつぶやきながら、そのやるせなさを近くにある石に託して、川面に向かってぶつけるのだろうか。かわいそうなA君。しかし、こういった文脈で出てくる「大人になれ」とは、一体どういうことなのだろうか。


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 ところで私たちは、さまざまな経験を経ながら広島大学に入り、大学生活を送っている。一般には、大学生になると大人の扱いを受けるとされているし、それに伴って自分の責任で行動しなければならなくなると言われている。
 とは言っても、周囲の人々が、本当に私たちのことを大人と思ってくれているかどうかは、かなり怪しい。例えば、交通事故。こちらが被害者であっても、「お仕事は」と聞かれて「学生です」なんて答えると、一気に強気に出てこられたりする。まあ、これは相手の人格なども大きな要素だから、一概には言えない。でも、学生って、社会的には本当にあやふやなところがある。
 そのくせ、自分たちのやっている草野球のこととか、気になるペナントレースの話題なんかに熱中していると、「バッカみたい」とか「平和なヤツ」とか言われ白い目で見られることもある。「大学生なら、もっと社会の出来事とか、世界の情勢とか、議論すべきことはあるでしょう」と言うのである。さらには「大学生とはいっても、まだまだ子供だな」と軽蔑しきった声で言われたりする。


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 でも、“バッカ”で、“平和”で、“子供”で、大いに結構だと思う。確かに、プロの選手として活躍する力はないけれど、だからと言って、体を動かしてその昔憧れていたものに少しでも近付こうとする情熱を持ち続けることが、なぜ軽蔑の対象にならなくてはならないのか。私はむしろ、「俺は世の中のことを考えている」などということを臆面もなく言う人の方が、信頼できないと思う。
 世の中には、米作りに一生を捧げる人もいれば、政治に命を賭ける者もいる。偉いのは、この世の中で一生懸命生きている人であって、別にとりたてて社会の問題とか人生のことを考えている人だけが偉いわけではないはずだ。
 いかにも“大人”の顔をして、自分の本心を押し隠してでも、もっともらしいことを言ったり、創造することを放棄して人の批評に専念するようなことは、とても虚しいことだと思う。
 自分は何が好きで、何をやりたいのか。この単純にして究極とも言えるコンテンツを、自分自身に正直になって追い求めることができれば、少なくともその礎を大学時代に培うことができれば最高だと思う。
 

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