写真1 巨大なアメリカンフットボール用ラトガーズスタジアム |
写真2 明治維新の日本との交流を示す展示(ラトガーズ大学ライブラリー) |
写真3 緑の芝にたたずむワックスマン研究所 |
写真4 野外での卒業式(女性学部長が1時間にわたる祝辞を述べた) |
写真5 研究室のホームパーティー。上段中央の裸姿が江坂。その左が加藤 |
ニューヨークから南約50キロ,マンハッタンの摩天楼とは天と地ほどの差がある小さな町,ニューブランズウイック。その町を取り囲むようにして,広大な5つのキャンパスを持つラトガーズ大学。ラトガーズ将軍の栄誉を讃えて,こう愛称されている。 実際は47,000人の学生数を有する,ニュージャージー州立の総合大学。その歴史は古く創立は1766年で,大学で初めてアメフトの対抗戦を行った大学として知られている。その記念として,キャンパス内に,巨大なアメフト用スタジアムを持つ(写真1)。しかしチームは弱い。 日本との交流の歴史も古く,明治維新の頃,多くの留学生がこの大学で学んだ。勝海舟の子供も学んだという。大学のライブラリーには,その当時の資料を集めた展示場が設けられている(写真2)。 抗生物質ストレプトマイシンを見いだし,ノーベル賞を受賞したワックスマンを記念するワックスマン研究所が緑の芝の中にたたずむ(写真3)。抗生物質研究のメッカでもあり,毎年多くの卒業生を輩出している(写真4)。 ニューヨークに近いのに治安はいい。週末にはマンハッタンに。留学するには格好の大学である。 生物生産学部応用生化学講座 江坂 宗春(えさか・むねはる)
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先生についてラトガーズ大学で1年間の研究生活を送った。立場はVisitor studentということであったが,思う存分自分の研究を行うことができた。大学院生は非常に広い年齢層からなり,それぞれの興味ある研究に打ち込んでいた。 マンハッタンへは電車や車で1時間で行くことができ,東広島キャンパスと広島市内のような位置関係にある。研究の後や合間に,教授やポスドクの人たちに食事や飲みに連れて行ってもらい,マンハッタンのお店についても思う存分研究することができた。また,研究室のホームパーテイーでも大活躍することができた(写真5)。留学先として最高の地であった。 生物生産学部日本学術振興会特別研究員 加藤 直洋(かとう・なおひろ)
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