開かれた学問(67)

   思想史の中の「ファースト・コンタクト」   

文 ・長尾 伸一

 「宇宙生命の探求」や「ファースト・コンタクト」など,宇宙への関心は一見科学の時代である現代の特徴に見える。だが,かつて人間は自分たちの生き方に宇宙が不可分の関係を持っていると考えていた。このような見方が近代科学によって崩れていった過程は,現代の文化が抱えている問題を示している。
 
銀河とのコンタクトの原点

 最近のハリウッド映画では「宇宙人との遭遇」が一つの流行となっている。その中でも現代の科学者の考え方が示されているのは、カール・セーガンが原作を書いた「コンタクト」である。
 ジョデイ・フォスターが演じる孤独で神を信じない科学者と、神学者の恋人が登場するこの映画では、ヴェガ恒星系に存在する宇宙文明との接触が宗教と科学の長い対立を和解させるという文脈の中で描かれている。原作者は宇宙科学が発達した現代こそ、倫理や宗教と科学の総合が真剣に考えられる時だと言いたいように見える。
 しかし自然や宇宙が社会のあり方や人間の生き方に重要な関係を持つ存在と考えられたのは、むしろ近代科学以前の世界でだった。  たとえば古代の哲学者キケロの主著『国家』の最後を飾る「スキピオの夢」と通称される章では、古代ローマの大政治家スキピオが夢の中で亡き父に会い、愛国者として生きることを教えられる。スキピオは人の道を知るために、父の導きで銀河の中を旅し、そこから地球を眺める。
 「父が指した所は、燃え立つ星々に囲まれ、眩しい限りの白熱の光を放っている輪形の道(銀河)でした…。そこに立って万有を凝視すると、まず、ほかのことごとくのものも、その壮麗きわまる驚嘆すべき姿を、私の目に見せてくれたのでした。この地上からは一度も見たことがないような星々がありました。どちらを見ても、まさかこの世界にあろうとは一度も考えたことがなかったほどの巨体が、目に入ってきました。
 これらのうちで最小のものは、天界からもっとも隔たり、地上のすぐ手前にあって、余所からくる光によって光っている星(月)でした。また、星々の球体は、地球の大きさを軽く凌駕(りょうが)するほどでした。
 そればかりではありません。いざ、わが地球はと見ると、その見える姿はあまりにも小さく、わが祖国の領土でさえも私どもはそこを足場に、地球上の点ほどの所に触れているにすぎぬ、といったありさま」。
 ワーム・ホールをくぐって銀河へ旅する「コンタクト」の主人公を思い出させるようなSF的で、また古代人の驚くほど正確で豊かな想像力を示すこの章では、スキピオの父の口を借りて、宇宙の偉大さと比較して人間の営みがいかに小さなものであるかが力説される。父スキピオの教えとは、国のために尽くす者は、死後この銀河へと帰ってくるということだった。
 「『ここの場所(銀河)へ帰ることこそ、偉大で抜群の人々が、すべてを賭けて求めている事柄。…だからこそ申すのだ。高きことに目を向けること、わけても、滅びない住まいでも故里でもあるこの場所をひた向きに見つめること、それが、今後おまえの望みとなるようなら、俗衆の評判にも心を向けるな。自分の畢生の大事業をなすにあたって、世の人々からの報酬にも期待をかけるな』」(鹿野治助訳、『世界の名著13』中公バックス)。

『スキピオの夢』での古代ローマ時代の宇宙像(中央公論社『世界の名著13』より)



古代宇宙の崩壊

 愛国心を至上の徳と考える古代ローマの倫理と宇宙観は、愛国者が文字通り「星」になるという点で分かちがたく結びついていた。古代では天体は地上の物質ではない素材からできていて、永遠不滅の神のような実在だと考えられていたので、英雄が「星」になれば永遠の生命が与えられるのだ。宇宙の知識と「ストイック」な生き方は、完全な形で一つの体系を形作っていた。宇宙論は古代では人間の生き方を支えていたのだった。
 このような人生観は、新しい宇宙像が形成されるにつれて存続が困難になっていく。古代宇宙論を破壊したのは地動説だと考えられているが、コペルニクスの地動説は太陽を宇宙の中心に置いただけであり、その点で決定的な転換を迫ったのではない。
 イタリアの哲学者ジョルダーノ・ブルーノの、宇宙を無限と見る考え方が地動説と結びついたとき、人間は宇宙の中心から追い出され、天体の運動法則が地上の物体と同様の形で解明されると、天体は永遠不滅の存在ではなく、土や火の塊になった。キケロが倫理の基礎に置いた古代宇宙論は、こうして近代科学の前に崩壊したのだった。


無限の宇宙と宗教の統合・ニュートン

 だが近代科学の建設者たちは、倫理や宗教と自然科学が対立するとは考えず、かえってこの発展を義しい信仰を確立するチャンスだと思った。近代科学のチャンピオン、アイザック・ニュートン自身がそれを呼びかけた。
 「もし自然哲学がその全分野でこの方法(ニュートンの方法)を追求して、ついには完成されるならば、道徳哲学の領域もまた拡大されるだろう。なぜなら、われわれが自然哲学によって、第一原因とは何か、神はわれわれに対してどのような支配力をもっているか、またどのような恩恵をわれわれは神から受けているのかを知りうるかぎり、それだけ、われわれ相互に対する義務のみならず、われわれの神への義務もまた自然の光によって明らかとなるであろうからである。
 もし邪神の崇拝が異教徒を盲目にしなかったならば、疑いもなく、かれらの道徳哲学は四元徳以上に進んだであろう。霊魂の輪廻を教え、太陽と月の、そして死せる英雄の崇拝を教える代わりに、かれらはわれわれに、かれらの祖先たちがその堕落以前に、ノアとその息子たちの統治のもとにおこなったように、われわれの真の造り主であり、恩恵者であるものを崇拝することを教えたであろう」(島尾永康訳『光学』岩波文庫)。
 近代科学最大の英雄のまるでカルト教団の教祖のようなこの言葉は、書かれた当時は異様には響かなかった。宗教や倫理の世界と自然が、離れがたく結びついていたのは古代以来の伝統だったからである。彼らは新しい自然像を出発点に、宗教や倫理の領域を改革しようと当然のように考えたのだった。
 これに加えて無限の宇宙の存在を信じていたニュートンたちは、現代の天文学者と大差ない理由で「E.T.」の存在を想定していた。人間がはじめてE.T.のことをまじめに考えたこの時代は、宇宙の中の人間について根本的に考え直すきっかけを作ったかもしれなかった。
 だがこの試みは旧来の倫理や宗教を大きく揺るがすことはなかった。彼らは宇宙の作り主の存在が天文学的に論証できたと考えていて、その結果宇宙生命とキリスト教徒は同朋だということになり、E.T.とキリスト教は共存できた。
 十八世紀には「天地創造」は地球の創造であり、それ以前に他の世界が永遠の昔から無数に存在し、そこには無数の知的生命が暮らしていると説き、この世界像こそが神の偉大さを示すのだ、とまじめに説教する高位聖職者まで存在したのだった。
 啓蒙思想が花開いた十八世紀には、多くの人々が人文、社会科学の分野でニュートンの呼びかけに答えようとした。近代自由教育論の提唱者の一人であり、ニュートンの追随者の一人だったある哲学者は、「プラトンのような古代人の仕事は重要だが、近年の自然哲学の発展を踏まえたものではなかった」(ジョージ・ターンブル『道徳哲学の原理』)と言い、「実験哲学の方法」に基づいて道徳哲学(哲学、心理学、倫理学、政治学を合わせたような学問のこと)を作り直そうとした。こうして無限宇宙とE.T.は、キリスト教と新時代の倫理学との新しい知的総合を生むはずだった。
 しかし十七、十八世紀の科学者たちが古代の宗教的、道徳的遺産と新しい宇宙観を多少の修正で両立できると単純に考えたのは、現代から見ればまだ自然の姿がまだ十分に明らかになっていなかったからだった。十八世紀思想の最大の主題の一つとなったこの新しい統一の試みは、科学の発展の中で教祖ニュートンの期待に沿うような成果を生まないで、自然の研究と倫理や宗教の探求を分離する形で終わったのだった。

現代天文学の宇宙─グレートウォールの構造(教育者『Newton別冊 銀河系のかなたへ』より)



並存か統合か

 ストア哲学、アリストテレス哲学、キリスト教などの古代哲学や古代宗教は、当時の宇宙や自然の知識に釣り合うように発展し、その点でこの二つの分野の間に大きな不整合はなかった。
 近代科学が新しい宇宙像を描き始めた時には、科学者や哲学者たちはそれに合わせて哲学や倫理のあり方を改訂しようとした。この試みが失敗した後、宇宙の姿が人間の生き方にかかわりを持たないように、この二つの領域は相互に注意深く隔離されるようになった。
 その結果、自由を得た自然科学の手によって、キケロの時代の常識からますます離れていく形で描き出される宇宙や自然の姿の反面、古代文明が残した人間観や人生観は、大枠ではあまり手が付けられないままで残存することになった。
 たとえば現在でも世界中の大半の人々が信じ、生き方の手本としているキリスト教や仏教やイスラム教のような宗教は、人間を宇宙の中心に位置付けた古代世界の宇宙観を前提としていた。このような基礎の上に発展してきた「宗教」と、その土台を破壊してきた現代科学が、カール・セーガンが楽観的に考えたように、単に「おなじ真理を違う方法で求めている」として共存できるのは、現代天文学が宇宙人信仰を中心にしたカルト宗教に変貌しない限りありえないだろう。
 「コンタクト」が描いたような宇宙の知的生命との接触が現実に生じるとしたら、それはむしろ人間精神の全面的な混乱と崩壊に終わるだろう。人間の生き方や社会の見方にかかわる思想を、二十一世紀の科学と新しい関係を持たせながらどのような形で作り変えていくかという課題は、依然として現代人に残されているのである。


 プロフィール
(ながお・しんいち)
◇一九五五年生まれ
◇京都大学大学院経済学専攻修了
◇経済学部助教授
◇専攻分野:経済思想、社会思想史
◇最近の研究:スコットランド啓蒙におけるニュートン主義         

 

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